そのときしていたこと: 職場で会議をしていました。一度目の揺れは体感的にそれほどたいしたことはなく、一度中断した会議を再開しようとさえしていました。その後大きめの余震があり、報道を目にしてとんでもないことが起きている、と実感しました。 | そのときしていたこと: 会社で仕事をしていました。 |
そのときしていたこと: ランチタイムにあわせたUstreamの番組の放送が14時頃に終わり、放送スタジオから近い渋谷PARCOの8階で、一緒に番組に登場したフランス人男性と広報の女性の方と一緒に、打ち上げも兼ねた遅いランチを食べていました。 http://youtu.be/uj--G3wfMxQ | そのときしていたこと: ネカフェでコナンの映画を観ていました。 |
そのときしていたこと: 炬燵に入りながらPCを開いて一人でのんびり事務作業をしていた。比較的大きく長く揺れたのですぐに目の前にあったTVをつけた。メディアは既に大混乱だった。まもなく波が迫る映像が映し出された。 | そのときしていたこと: 東京から帰省し、新幹線が仙台駅に着いた9分後の地震だったので、在来線の車両に乗り込み、出発を待っていました。 |
そのときしていたこと: 電気が消え 犬を膝の上にのせて じっとしていました。 | そのときしていたこと: 住所を「東京都足立区新田」としましたが、実際は荒川上です(環七の「鹿浜橋」を過ぎたあたり。 ボートでクルーズをしており、隅田川から岩淵水門を通過し、荒川を下りはじめたところで、風もないのに、まるで突風が吹いたかのように水面にさざ波が一斉にたったことを不思議に思っていました。 その後マリーナに戻ると、スタッフが真っ青な顔で「津波警報が出ているので早く上がってください」と言われ、ようやくさざ波は地震によるものだと納得をしました。 |
そのときしていたこと: 職場の居室で同僚と立って話をしていた。 | そのときしていたこと: 友達の引っ越しの手伝いしてました! 段ボールが崩れそうになって焦りました(・ω・`) ただアリさんマークは震災にも負けず、夕方には荷物を引き取りに来てくれてびっくりしました笑 |
そのときしていたこと: 後輩へ送るビデオレターを撮り終えて、友人にメールする寸前でした。 | そのときしていたこと: 仕事の相手先のオフィスビルで打ち合わせ中に被災。揺れが収まった直後に自宅に電話したところ、妻に通じたが、しばらくして不通になった。最終的にtwitterでご近所の家族に辿り着いて伝言ができた。夕方まで職場にとどまり、調布まで徒歩帰宅した。 |
そのときしていたこと: 寝ていた。朝起きたらニュースでコスモ石油の爆発や気仙沼の火事の様子が何回も取り上げられていた。 | そのときしていたこと: 打ち合わせをしてました。 |
そのときしていたこと: おひるね | そのときしていたこと: 勤務中でした。2階の自席でPCに向かっていました。 |
そのときしていたこと: 地震が起きる少し前に成田を飛び立つ飛行機に乗っていました。 | そのときしていたこと: 翌日の首都大学東京の後期試験を受けるために、前乗りでホテルに泊まって試験を受けようとしていました。地震の時は電車の乗り換えのため赤羽駅で埼京線を待っていました。地震中は駅名表示板が揺れて落ちてくるかと思った。 |
そのときしていたこと: 宇都宮高校の工芸室にて5時間目の美術の授業中。課題制作していたら弱い揺れが来て、地震かと思っているうちに、今まで経験したことが無い大きな揺れが来て、慌てて机の下に潜った。部屋の中がまるでアトラクションのようだった。机や棚に置いてあった様々なものが大きく揺れたり落ちたりした。 | そのときしていたこと: 球技大会の片付け後、生徒会室で団欒 |
そのときしていたこと: 古めの建物の中にある、100円ショップで母と買い物をしていた。所狭しと並べられた食器が音をたてておちていくのが怖くて、建物も崩れるのではという不安もあって 強い揺れが収まったらすぐにその建物を出た。 | そのときしていたこと: 宝塚歌劇の休憩時間で雑誌を立ち読みしていた。 |
そのときしていたこと: 家で寝ていました | そのときしていたこと: 寝てた |
そのときしていたこと: バイトへ行こうと思い、スーツに着替えているところだった。 | そのときしていたこと: 学校のフィールドでサッカーの練習中。はじめは単なる自分だけに起こっためまいかと思っていたが、周りを見てみたらみんな驚いていた。そこで初めて地震だと気づいた。 |
そのときしていたこと: 家でゲームをしていた | そのときしていたこと: 高校での部活が終わり、家に帰る途中歩いていた。 揺れは感じなかった。 |
そのときしていたこと: 自宅にいました | そのときしていたこと: 部活でサッカーしてました |
そのときしていたこと: TSUTAYAで仕事中でした。たくさんの商品が棚から落ち、床にはDVDが大量に散らばっていました。 | そのときしていたこと: 友達と買い物をしていました。 |
そのときしていたこと: サイゼリヤで友人とご飯を食べていました。 | そのときしていたこと: 家でアニメを見ていた。 |
そのときしていたこと: 友達と五人でミートレアのフリースペースでサークルの会議をしていた。 揺れたとき、いろんなものが倒れ、近くにいた女性がパニックで泣き出して過呼吸になってしまった。 | そのときしていたこと: 首都大合格後、入学式の為に買ったスーツを着て、祖父母の家に行ってお披露目をしていた。 結局その入学式は開かれなかった。 |
そのときしていたこと: 高校の担任に挨拶をするために学校に向かおうと歩いていた | そのときしていたこと: 自宅でインターネットをしていた。地震の揺れには気づかなかった。 少し後になってから、Yahooのトップニュースの速報を見て地震のことを知り、 すぐにテレビをつけて事態の重大さに愕然とした。 |
そのときしていたこと: 発掘調査中だったが、わたしはちょうど一人だけプレハブ事務所にいた。 プレハブを出ようとしたところで大きな横揺れ。 とにかくプレハブにしがみついていた。 土木のお兄さんや、(大学内だったので)食堂のおばちゃんが近くにいて、みんなで大変だ大変だと言い合っていた。とても長い時間に感じられた。 知らない人同士だったが、大変だと言い合うことで気持ちを落ち着かせていたように思う。 | そのときしていたこと: 河合塾新宿校の八階で説明会に参加していました。ビルだったので横揺れがひどく、壁もパラパラ落ちてきました。東京だったけどすごく怖かったです。 |
そのときしていたこと: 明大前駅の飲食店でアルバイトをしていました。 | そのときしていたこと: 僕は東日本大震災が起きた当時、兵庫の実家にいた。 そしてパソコンの前の椅子に座っていた。地震が起きたことにはきずかなかった。 大きな地震が起こったということは、東京に住んでいる従兄弟からの電話で初めて知った。 |
そのときしていたこと: 会社/自席にてデータ集計。 | そのときしていたこと: 母親と2人で大学生協の住宅相談会に来ていた。 地震が起きた瞬間には住むところを決めて帰るところで、南大沢のアウトレットをふらついていた。 揺れを感じる前に「地震が発生しました」とアナウンスがされ、その直後に大きな揺れを感じた。 その日のうちに長野に帰る予定だったが、電車もバスも止まってしまい帰ることができなくなった。 店はほとんど閉まってしまい、空いていたのはマクドナルドとスターバックスくらいだっ |
そのときしていたこと: 受験生だったので自宅で勉強をしていました。 家に一人でいたのでとにかく焦って動き回っていました。 妹の小学校からの連絡網を回したり、家具をおさえたりとかです。 あとは親戚に連絡を取ったり、余震や停電への対策をしていたのを覚えています。 | そのときしていたこと: 買い物をしようとしていた。 |
そのときしていたこと: てすとべんきょう | そのときしていたこと: 家でゲームしてました |
そのときしていたこと: 新宿駅近くの東急ハンズのエレベーターの中にいて、閉じ込められていました。 | そのときしていたこと: 高校の授業が早く終わり、家に帰って寝ていた。 最初に揺れがきたときはすぐに収まると思っていた。 |
そのときしていたこと: 地震の揺れが到達した時、私は体育の授業をうけていた。授業では、数日後に開催される球技大会の為の練習をしていた。種目はサッカーだった為グラウンドに出ていた。初期微動を感じた時は、私は丁度プレーしていた。「まあすぐに終わるだろう」と、その時は揺れを完全に軽視していた。事の重大さに気づき始めたのはその数秒後からだった。なかなか揺れがおさまらないので、「やばくないか? やばいでしょ」などと友達と連呼していた。徐々に校舎のガラスが音を立て始め、揺れが最大になった頃には校舎内から生徒の悲鳴が聞こえてきた。屋外にいた私は、揺れが最大に達した頃はまともに直立すらできていなかった。大地に身体を持ってかれるかのようにふらついた。屋外であれだけの恐怖を感じたが、屋内の生徒はより強い恐怖を感じたに違いないと思った。そして、震源に近い方はもっと強い恐怖と被害を受けた•••。もうこんな災害は起こらないでほしいと思う。今回の東日本大震災で、私は「たまたま震源から遠かった」ということを忘れないようにしたいと強く思った。 | そのときしていたこと: 高校で地理の授業を受けていた。最初は先生も「地震か」くらいしか言わないで授業を進めようとしていたが、次第に揺れが強くなり机の下に身を隠すように言われ身を隠した。そして、一番強い揺れがきて身に危険を感じた。教室が四方に歪むかのように揺れ建物が崩れるのではないかとも思った。そして、皆で校舎の外に避難したがその時皆は笑うことしかできなかった。 |
そのときしていたこと: セブンイレブンで買い物していて、その時に揺れた。中にいた皆が、店員を含めタダ事ではないなと口にしていた。結局、夜になるまで停電やら何やらで何が起きたのかわかったのは翌日の事だった。 | そのときしていたこと: 買い物からの帰宅途中だった。 |
そのときしていたこと: 学校のテストの待機中で自習していました。 | そのときしていたこと: ショッピング |
そのときしていたこと: 家で昼寝していました。 | そのときしていたこと: 部活前にキャッチボール |
そのときしていたこと: 友達2人と帰宅してて、駅で別れて10秒くらい経った時に揺れ始めました。自分は乗り換えようとしてたのですが、大きな揺れで電車が止まると思ったので、そこから歩いて帰りました。 | そのときしていたこと: 友達と試験明けに遊びに来てちょうどビルを出たところ |
そのときしていたこと: 家でテレビを見ていました。 | そのときしていたこと: 自宅でPTA関係の作業をしていました。 つけっぱなしにしていたテレビから突然、緊急地震速報が流れ、 その後いきなり揺れが来たという感じでした。 飼っている猫3匹は自分から物陰に隠れましたが、犬は以前、 新潟中越沖地震を経験していたので、思い出したように吠え、 私は左手で犬を抱いて、右手で落ちそうになったテレビを 押さえていました。 |
そのときしていたこと: 大学校舎5階の研究室奥の教員室で、自分のデスクでパソコンに向かっていました。最初の揺れの瞬間は、ああ、また地震だ、と座っていましたが、すぐに揺れが大きくなり、慌てて教員室から出ました。 | そのときしていたこと: 宇都宮東高校の2階の社会科教室で世界史を受けていました。 |
そのときしていたこと: グラウンドで球技大会の真っ最中でした。 | そのときしていたこと: 家で寝ていた。 |
そのときしていたこと: 地下鉄の駅でうんこしてた。 | そのときしていたこと: 食事 |
そのときしていたこと: 3月11日は大学に合格したことを高校の先生に伝えるため、高校にいっていました。そのあとに塾に遊びにいって、塾の先生と話をしていました。佐賀県は震源からとても離れているため、何の異変もなく、地震が起こったと気づいたのは帰宅してテレビを見た17時くらいでした。 | そのときしていたこと: バスに乗っていた |
そのときしていたこと: 東京電機大学で行われていた数理科学会で、発表者のプレゼンテーションを聞いていました。 | そのときしていたこと: 地震発生時は東京の空の上にいました。 飛行機内で地震のアナウンスが流れて、長い時間何台もの飛行機が羽田空港の上空を旋回していました。やっと着陸できたと思ったら、交通機関が麻痺していて、空港で一夜を明かすことになりました。 前期試験で首都大に合格して家探しに来ていた私と母は、一日で家を探すことになり 疲れも溜まっていたので、適当に家を決めてしまいました。後悔しています笑 |
そのときしていたこと: テニスをしてました。 | そのときしていたこと: 父と姉と一緒に自宅にいた。その日は熱があったので、揺れを感じたときはめまいかと思ったが、壁にかけてあった額縁が左右に揺れ、ちょうど入っていたテレビ番組のスタジオも揺れているのを見て、すごく大きな地震が起きたんだと怖くなった。 |
そのときしていたこと: 家でごろごろしていた。1時間後に新宿に向かう予定だった。 | そのときしていたこと: 石原都知事が知事選への出馬表明をしているニュース映像を見ながら昼食をとっているときに地震がおきた。とっさに開いていた食器棚の扉を腕でおさえ、長く大きな揺れに耐えた。机の上のカップに半分しか入っていなかったコーヒーが、カップは立ったままの状態ですべてこぼれていた。その様子とテレビから聞こえる非常事態を告げる音に、「ただ事ではない、何か大変なことが起きている」と感じた。それまで都民の最大の関心事だった石原都知事の知事選出馬は一瞬にしてどうでもよくなってしまった。最初の揺れがおさまった後は、おびえる犬を抱いて正座でじっとテレビを見ていた。怖かった。震えていた。もちろんこのときは被災地がどんな脅威にさらされているか知らなかった。しかし何か説明できない大きな恐怖を確かに感じていた。 |
そのときしていたこと: 数学の模試を受けていた | そのときしていたこと: 真剣に受験に向き合うために、これからの友達と勉強の予定を立てていた。 |
そのときしていたこと: 本屋で立ち読みをしていました。翌日の首都大後期試験、小論文を書く上でいろいろ知識を増やしておこうと思い、専門書を読んでいました。 | そのときしていたこと: 学校にいて、5時間目の授業中でした。昼休み明けで、ほとんどの生徒がうとうとしていた時に、ズシンと縦揺れが来て、すぐに大きく横に揺れ始めました。教室は3階か4階で、机の下に潜ったのですが、本当に長い時間に感じました。 |
そのときしていたこと: 自宅のトイレに座って用を足していました。 座ったまま横に揺れたので不思議な感じでした。 | そのときしていたこと: 友達の家で遊んでいました。地震発生直後は突然のことに我を失っていましたが、しばらくしてからテレビをつけて、現状を把握しました。 |
そのときしていたこと: 日野キャンパス居室にて,通常の業務を行っていました. | そのときしていたこと: 世界史の授業中でした。 |
そのときしていたこと: 世界史の授業中。最初はめまいかと思った。 | そのときしていたこと: 歩いていた |
そのときしていたこと: 14:00頃に石原都知事が都知事選挙に出場を表明していた。私は当時このことを好意的にとらえることができなかった。なので、気分を変えようと浴室でシャワーを浴びていた。 | そのときしていたこと: イベント事務所でアッセンブリ作業をしていました。 事務所のラックなどから機材が落ちて、めちゃくちゃな状況になりましたが、夜になって、事務所の方が、その日初めて会った僕たち全員を車で送ってくださったのが強く印象に残っています。 |
そのときしていたこと: 宿泊ホテルで起きた直後くらいだったと思います。 修学旅行中だったので震災の事はしばらくするまで知りませんでしたが、現地でニュースを見てそこに映った映像に愕然としたのは覚えています。 | そのときしていたこと: 震災当時、私は茨城県の実家に帰省していた。その日特に用事のなかった私は、ひとりで家におり、リビングにあるテレビを見ていた。急に大きなゆれが来たのを感じ、家の裏口から外に出て、自身がおさまるを待っていた。近所の家の多くで、次々と屋根のかわらが落ちる光景が見られた。揺れが収まってから家に戻ってみると、棚から食器が落ちていたり、本棚が倒れていたりしたが、これといって特に大きな被害はなかった。 |
そのときしていたこと: 私はその時一人で自宅でテレビを見ていました。地震が起こった時結構揺れて怖かった記憶があります。自宅での被害は写真立てが壊れるくらいでした。その後は家族や友人に連絡をしていました。 | そのときしていたこと: 新宿に出かける準備をしていました。出かけなくて本当によかったです。 |
そのときしていたこと: 家でごろごろ | そのときしていたこと: 6限目の日本史の授業を受けていた。揺れが始まると先生が関東大震災の話をし始めたが、それどころではなかった。ストーブの上においていたタライのお湯はこぼれ、廊下のロッカーはかなり移動していた。外を見ると高校の敷地内にある寮の窓ガラスがガタガタいっていて驚いた。揺れはなかなか止まらなかった。結局みんなで校庭に避難したが、余震は続いていた。 |
そのときしていたこと: 自宅にいて本を読んでいた | そのときしていたこと: 当日は高校の期末テスト最終日で、午後からクイズ研究会の活動をしている最中であった。私は北棟3階の社会科室という、会議室然とした設備の部屋にいた。ちなみにこの活動は20日の大会に向けての追い込みだったが、この大会は8月まで延期になっている。最初のゆれを感じたときには、いつもどおりの地震だと思って揺れを感じていたが、長引くにつれて周りもそわそわしてきた。揺れだしてあまりたたない(1分未満?)ころにスマホで気象庁のサイトを見ることにした。運のいいことにこのときはまだ相手方webサーバは落ちておらず、最大震度6強の震度速報を確認した。 立川市は地盤もよく、発表された震度は4ということで、ゆれは比較的強くなかったはずである。しかしながら地震が長引くにつれ、周りも不安になってきたようで、扉を開けたり、机に潜っていたりするひともいた。しかし私は科学的興味が先行していて、かなりへらへらした態度になっていた。そんな状態で部屋にあるテレビの横に立って怒られてしまった。しかしそのときふと外に目をやると、葉が落ちた高さ20mぐらいの細長い木(名前がよくわからない)がゴムのように振れているのが見えた。これがこの地震がとてつもない規模であることを始めて実感した瞬間だった。 |
そのときしていたこと: 私はその時一人で自宅でテレビを見ていました。地震が起こった時結構揺れて怖かった記憶があります。自宅での被害は写真立てが壊れるくらいでした。その後は家族や友人に連絡をしていました。 | そのときしていたこと: 私はその時一人で自宅でテレビを見ていました。地震が起こった時結構揺れて怖かった記憶があります。自宅での被害は写真立てが壊れるくらいでした。その後は家族や友人に連絡をしていました。 |
そのときしていたこと: ソファに座りながらアニメを見ていたら、今までに経験したことのないような、揺れ幅の大きい揺れを感じた。初めは自分の体調が悪く目の前が揺れているのかと疑ったが、部屋を見渡すと壁にかけてあるものが揺れていたので地震だとわかった。自分の住んでいた所は震度4くらいでそこまで強い揺れではなかったので、あまり大事には感じでいなかったが、テレビ画面が切り替わり全チャンネルが緊急ニュースになるのを見て事態の深刻さを知った。しかし、自分にとって、テレビ画面に映し出されるそれらの残酷な状況は現実味のあるものではなく、まるで映画かなにかのように見つめることしかできなかった。 | そのときしていたこと: 家で姉といた。自分は本を読んでいた。猫はねていた。 |
そのときしていたこと: 高校で物理の授業を受けていました。 | そのときしていたこと: 屋上でテニスをしていた。 最初動いていると揺れを感じなかったが、 次第に立っているのが困難な大きな揺れになった。 周りの団地は折れそうなほど揺れ、 テニスコートの床が抜ける可能性があるため近くまで避難するようにと促された。 |
そのときしていたこと: 仕事をしていました。“ペンシルビル”のだったせいかすごく揺れたので東北が震源とは信じられませんでした。 | そのときしていたこと: インフルエンザに罹り家でひとりで寝ていた。 |
そのときしていたこと: 家で愛犬を抱いてなでてた。 | そのときしていたこと: 上越新幹線の車内で被災。車内が大きく揺れて、停電し水も止まった。6時間の拘束の末、熊谷駅まで線路を歩いた。因みに後期試験の前日でした。 |
そのときしていたこと: 仙台市泉図書館で単行本の本棚の間で本を探索中。 ハードカバーの本が左右に飛んでいてアセった。 | そのときしていたこと: 地震には気付いていましたが、しばらく仕事をしていました。 打ち合わせ中の上司が戻り、机の下に隠れるよう指示があり隠れました。 |
そのときしていたこと: 世界史の授業中でした。 この日は家に帰れず高校に泊まる人もいました。 | そのときしていたこと: 僕は野球部で、その日は学校でちょうどバント練習をしてました。僕はキャッチャーで座っていたので、すぐ地震には気付きました。 |
そのときしていたこと: 初めてのアキバ見学。メイド喫茶を探していたときに震災に遭い、その後、店もすべてが臨時休業となり帰ろうとしたところ電車も止まっていたため、帰れずに寒い中うろうろ歩いた挙句、偶然にも友人の祖母の家が飯田橋にあったため、そこに泊めてもらった。 | そのときしていたこと: 千葉に向かおうと電車を待っていました |
そのときしていたこと: その前日朝まで遊んでいたので、その時間帯は寝ていました。 | そのときしていたこと: 高校の校舎3階で美術の授業をうけていた。 |
そのときしていたこと: 家にいました。 地震が強く、犬を取り押さえて近くにいさせるので 精一杯でした。 | そのときしていたこと: 首都大に合格した後だったので、自分の部屋でくつろいでいた。 |
そのときしていたこと: 高校の体育館で部活の準備をしていた。 | そのときしていたこと: 揺れに驚いて、外を見てました。 |
そのときしていたこと: 部活動 | そのときしていたこと: 大学の後期入試の勉強をするため自分のヘ屋にこもっていた |
そのときしていたこと: 予備校で勉強 | そのときしていたこと: 学期末試験の三日目だったので早めに帰宅しており、家でテレビを見ながらカップラーメンを食べていた。 三時になったら、翌日に試験がある予定だった世界史を勉強しようと思っていたところ、とても大きな揺れを感じて、ついに首都直下型地震が来たのかと思った。 |
そのときしていたこと: 寝てました。 | そのときしていたこと: 高校の生物室で授業を受けていた。結構揺れたけど授業優先で逃げようとはしなかった。しかし外に皆が避難しており、他の先生から避難を促されたため避難した。 |
そのときしていたこと: 家でゴロゴロしてた。 | そのときしていたこと: シャワーを浴びるためにお風呂場に入ってちょうどシャワーをつけた瞬間でした。全く衣類を身につけていない状態でパニックになりました。 |
そのときしていたこと: 学校の授業間の休み時間で地震発生直後はクラスでおもしろ半分で騒いでいたが、その後の校内放送で何かとても重大なことが起きているというのが放送をしていた先生の緊迫した様子から伝わってきた。また、クラスにいた一人が携帯でテレビのワンセグ放送で津波の発生の様子を見て「これはホントにヤバい」と真顔で言っていたのをよく覚えている。 | そのときしていたこと: 部活動の後片付けで、校庭整備をしている最中でした。 |
そのときしていたこと: 僕はいつものように学校で授業を受けていました。大震災について初めて耳にしたのは、学校から家に帰った夕方7時くらいでした。 | そのときしていたこと: 卒業を祝う会(謝恩会)に出席していました。 |
そのときしていたこと: 電話対応の仕事をしていました。比較的暇な日で、私自身は電話待ちの状態。揺れが大きくなってきたので机の下に潜りました。ほとんどの同僚が同様でした。しかし、揺れる前から電話に出ていてそのまま長引き、ずっと話し続けていた人も居たのが印象的でした。 | そのときしていたこと: 高校の教室で、数学の授業を受けていた。 |
そのときしていたこと: 14:20に起床、ベッドの中で携帯をいじって、部活のメーリス(メーリングリスト)で14日に遊ぶ予定を話し合っていました。大きな揺れを感じながらも、ちょうどメーリスでリアルタイムにやり取りをしていたせいか、恐怖感はあまりありませんでした。母親に呼ばれ、揺れの弱まりつつある中をリビングへ移動し、NHKで震源地や規模、事態の異常さを把握。危険かもしれないということで30分ほど家の外に出たものの、もう大丈夫だろうと戻る。 | そのときしていたこと: 原宿駅付近で買い物をしていた。 |
そのときしていたこと: 不動産屋 | そのときしていたこと: 練習でテニスコートにいたのですが、校舎と接しているため、ガラスが降ってこないかが怖かったです。 |
そのときしていたこと: 首都大学東京南大沢キャンパス11号館前にて、後期試験の準備アルバイトをしていた。 | そのときしていたこと: 次の日後期試験だというのに勉強もせず、昼食後ソファーでテレビを見ていた。 地震がきてすぐに停電した。 |
そのときしていたこと: 高校で期末テストの勉強をしていた | そのときしていたこと: ショッピングモールの1階で買い物をしていた。 |
そのときしていたこと: 合唱の練習中(部活)、学校で震度5の揺れにみまわれました。 外への避難がなかなか進まず、皆経験したことのない揺れに恐怖で茫然としていたことを覚えています。 | そのときしていたこと: いた場所は自宅で、塾に行くために準備をしてリビングに下りてきたタイミングでした。揺れが落ち着いて駅に向かってみると人が溢れ、すべての路線が運休というかつてない状況になっていました。 |
そのときしていたこと: U-Style藤沢店にて、フリータイムカラオケをしていました。 | そのときしていたこと: エレベーターに閉じ込められていました。 |
そのときしていたこと: 放課後、部活の準備をしていました。 | そのときしていたこと: 放課後、部活の準備をしていました。 |
そのときしていたこと: 高校入試のため、学校がちょうど休校だったので自宅で母とDVDを観ていた。 | そのときしていたこと: 大宮駅構内にいた。大宮駅の水道管が壊れて一部が水浸しになっていた。人が多く皆電話をしていたが繋がらなく、警察官に怒ってる人もおり少々パニック状態だった。そのときはどうしようもなかったので、友人とただ駅構内で何か情報が発表されるまで待っていた。 |
そのときしていたこと: 家族でテレビを見ていました。 | そのときしていたこと: 塾で勉強してました。 |
そのときしていたこと: 高校で英語の授業をうけていました。 大きな揺れが始まった直後に、親に安否確認のメールを送ったため、 その時はまだスムーズに連絡を取ることができました。 | そのときしていたこと: 楽器屋でギターを修理に出していた |
そのときしていたこと: 足をけがしていたので、治療のために病院にいたときにテレビで地震のニュースを見たことを鮮明に覚えています。 | そのときしていたこと: スーツを受け取るために新宿へ行こうと準備をしていた。地震によって、蛍光灯の蓋が落ちたりテレビが落ちたりしたため外に避難をした。祖母は家の中で腰を抜かしていた。 |
そのときしていたこと: 高校で部活の練習をしていました。 揺れている間に誰かが「逃げろ!」と言って走り出したので みんなで3階から1階に避難しました。 今思うと危ないので揺れが収まってから動くべきだったと思いました。 その後校庭に集合し、校長先生の話を聞いて帰宅しました。 帰宅する前に荷物をとるため校舎(音楽室)に入ったのですが、トロフィーが棚から落ちていたり楽譜が散乱していて揺れの強さを物語っていました。 帰り道では信号が停電で稼働せず、大きな道路では警察官が交通規制を行っていました。 | そのときしていたこと: 客先で打ち合わせ中でした。 会議室が23階だったため数分間横揺れが続き、座っていたキャスターつきの椅子が自然と左右に大きく動いて怖かった。 最終的には皆でテーブルの下にもぐりこみ、手で椅子を押さえて動かないようにしてました。 |
そのときしていたこと: 代休のため家にいた。 TVを見ていたら揺れを感じ、大きな揺れだったのでチャンネルをNHKにかえた。 | そのときしていたこと: 高校敷地内のホールの中で、年次集会を行っていました。 インターネットを使って、アメリカにビジネス渡航していた社会人の方とフランスに留学していた学生さんと日本の大学に通っていた学生さんとテレビ電話をして、将来どんなことをしたいかといった内容の意見交換をしている最中でした。 |
そのときしていたこと: 友人と買い物。高知は揺れなかったので地震が起こったことに気づかなかった。 | そのときしていたこと: お留守番 |
そのときしていたこと: 体育館での生徒会長選挙演説が終わり、ほとんどの生徒が教室に戻る途中だった。 私は早めに4階の教室に戻っていた。 始めは大した地震だと思っておらず、友人たちと談笑していたが、揺れが大きくなるにつれて様子がおかしいことに気付き、机の下に潜った。 4階にいたこともあり、震度5強よりも揺れは大きかったように思う。 教室の電気やエアコンは今にも落ちてきそうで本当に怖かった。 一瞬、もしかしたら死んでしまうかもしれない、と思ったが、友人たちと一緒ならいいかな、とも思った。 古い校舎は耐震工事を終えたばかりだった。もしあの時までに工事が終わっていなかったら、ということを考えるとぞっとする。 揺れが収まったあたりで外を見ると、校庭には既に大勢の生徒が避難していた。 避難する途中の廊下や階段には、しゃがみこんだり泣いたりしている生徒たちもいた。 校庭に避難してからも立っていられないくらいの揺れが続いたが、震源地や震度などの情報が全く分からず、とても不安だった。 | そのときしていたこと: お家で少し遅い昼ご飯を食べながら、たまってたビデオを観てた! |
そのときしていたこと: 高2のクラスのお別れ会をしていた。担任が「みんなにミスタードーナツ買ってきたぞー」と言って盛り上がっていたところに地震がきた。 | そのときしていたこと: 図書館で勉強していた。 |
そのときしていたこと: 飲食店で遅いお昼ご飯を食べていた。 | そのときしていたこと: 自宅2階の自室にてスカイプで友人と会話しながらオンラインゲームをやっていました。神奈川県在住ですが、それほど揺れなかったので、揺れが収まった後もそのままスカイプ通話を続けていたと記憶しております。 |
そのときしていたこと: 3月11日私は自宅にいました。ちょうど大学の手続きで銀行から帰ってきたところでした。地震予報をテレビで見た直後に地震が来ました。体験したことのない揺れに激しく動揺したのを覚えています。すぐに停電になってしまったので頼るべき情報は携帯のワンセグだけでした。私の家ではガソリンスタンドを経営しているのですが、停電になってしまったためにモーターのところを手動で回して売ってました。周り一体が停電になったため自家発電や車で過ごそうとするお客さんで家のまえに長蛇の列ができました。多くのお客さんに提供するために量を制限しまして売りました。また不安から買いだめする人が多くいました。そのため次の日から燃料不足になりました。振り返ってみるとみんなの行動に落ち着きがありませんでした。 | そのときしていたこと: 現地は6:46で、まだ寝ていました。 |
そのときしていたこと: 高校の図書館で学習していた。 | そのときしていたこと: 春休みで暇だったので、ごろごろと寝てました。 |
そのときしていたこと: 家で読書。 | そのときしていたこと: 学校のテニスコートで部活をしていました。 いつも通りの練習をしていたら、一人の子が「何か揺れていない?」といいだしました。その発言の後すぐに、大きな揺れがきました。あたりを見るとテニスコートはグニャグニャに見え、電柱は大きく左右に揺れていました。学校の窓から次々と人が出てきました。私はこんなに大きな地震は初めての経験でした。怖くなって、一緒に練習をしていた子とコートの真ん中に集まっていました。泣き出す子もいました。しばらく地震がおさまってからも揺れの感覚は消えず、まだ揺れているような感じでした。 |
そのときしていたこと: 後期受験で広島大学を受けるため一人でホテルにいました。 | そのときしていたこと: 当時高校2年生で、春休みのような期間でしたので学校も強制ではなかったので 家にいました。家で受験勉強をしていました。 とても気味が悪いサイレンが外から聞こえてきて 僕の祖母が外から大声で僕を呼んでいたので 取り敢えず外にでてみるととても大きな揺れに襲われました。 瓦が落ちて来る可能性が高いので木の下に避難して 揺れが収まるのを待ちました。 いつもは、学校の自習室にいっていたのですが その日に限って寝坊したので いかなかったことが幸いで 交通機関がマヒしていましたし、 祖母も守ることもできたので 不幸中の幸いでした。 |
そのときしていたこと: 科学未来館で行われていた学会の、見回り・警備のアルバイト | そのときしていたこと: 地震が発生したとき私は高校2年で学校のホールにいました。ホールではそのとき講義が行われており、その場所には2年次全員と2年次を担当していた先生方がいました。揺れが収まってから一度校庭に全校生徒が集まり、その後全員帰宅になったのですが、通学で使っている電車が運休になり帰るのに苦労しました。 |
そのときしていたこと: 学校の部室にいた。 | そのときしていたこと: 3時から、高校入試の合格発表があり、部活動の勧誘のビラ配りのために、学校にいました。もう少しで発表だったため、合格した新入生が通る花道を作って待機していました。 |
そのときしていたこと: 学校の六時間目の物理の授業中。 揺れが起こり机のしたに潜る。 揺れがおさまり 校庭に避難。 帰宅指示後 会議室に待機。 母の迎えを待ち帰宅。 | そのときしていたこと: 受験期を終えて、母と二人で自宅にいました。丁度お手洗いにいたときに地震がきました。お手洗いは地震のとき安全な場所だと聞いたことがあったので、揺れが収まるまでその場でじっとしていました。幸い、我が家では本棚の本も食器棚の皿も一つも落ちてきませんでした。 |
そのときしていたこと: 家でテレビ見ながら飯を食べていた。 | そのときしていたこと: 自宅で撮りためていたテレビを見ていました。 |
そのときしていたこと: 大学進学で上京するにあたって独り暮らしするので母親から家事になれるよう家の洗濯、炊事、買い物などを任され一人家にいた。とりあえずつけてたテレビから地震のことを漠然と知った。 | そのときしていたこと: 駅前のスーパーにいた。 |
そのときしていたこと: 家に一人でいて、テレビを見ていました。 | そのときしていたこと: カラオケ |
そのときしていたこと: 高校で6限の授業を受けていた。午後6時に広島駅で号外が配られて初めて震災を知った。 | そのときしていたこと: 後期試験のためJRで函館に向かっている途中でした。いきなり列車が止まり、大きな地震が起こったから津波がくるかもしれない、という説明だけをされ、何の情報もないまま、最寄りの駅の近くの市民館に避難させられました。その後、7時間もの待機のあと、バス会社のご好意で函館駅まで送ってもらえましたが、ホテルに着いたのは夜中の23時。そしてテレビを見て被害の大きさを初めて知りました。 |
そのときしていたこと: 大学で、後期入試の設営のバイトをしていた。 | そのときしていたこと: 地震の瞬間は、トラブル対応が終わってほっと一息ついてランチを取ろうとしている所でした。 |
そのときしていたこと: 海辺で、海をみていた。 | そのときしていたこと: 高校の体育館で全校集会が行われており、生徒がみな体育館に座って先生の話を聞いていた。 |
そのときしていたこと: 家で寝ていました。強い揺れで飛び起きて、びくびくしていまた。 | そのときしていたこと: 部活で高校の付近をランニングしていた。 |
そのときしていたこと: 友人と遊ぶため、車で市内を目指していました。 | そのときしていたこと: 地下鉄日比谷線で移動中でした。突然電車が止まり、強い揺れに襲われました。ただし地下鉄でしたので長い揺れでも比較的冷静に推移を見守っていました。流れている地下溝の水が揺れて水滴が跳ねるのが見えました。 地上は大変な事になってしまったのではないか、と思いました。 |
そのときしていたこと: 東京から実家のある宮城県に高速バスで帰省している途中だった。 | そのときしていたこと: 寝てました。 |
そのときしていたこと: 私はこのとき高校の吹奏楽部に所属していて、3月末に予定されていた定期演奏会に向けて練習をしていました。 地震が起こったのは金管楽器のみで曲の合わせをしている最中でした。今まで感じたことのない大きな揺れにみんな驚き、楽器を持ったまま慌てて外に避難しました。 その日の部活は中止になり、しばらく待機した後帰宅指示が出ましたが、電車が止まってしまっていたためそう簡単には帰れませんでした。親に車で迎えに来てもらってなんとか帰れた人もいましたが、帰宅できずに学校や友達の家に泊まる人もいました。私は友達の車に乗せてもらって無事に帰宅することができました。 私が通っていた高校のそばを通る電車は停電になると止まってしまうため、震災後1週間近くは休校が続きました。私の高校はプレハブで、電気が止まれば水道も止まってしまうような造りだったため、学校が再開されてからも「安全が確保できないから」という理由で部活はしばらくできませんでした。 停電の影響は演奏会にも出ました。計画停電の影響で予定していた日にホールが使えなくなる可能性が出てきたため、定期演奏会が5月に延期になってしまったのです。 電気が無いだけで何もかもできなくなってしまうとは、なかなか危うい社会だということを実感しました。 | そのときしていたこと: 部活です。 |
そのときしていたこと: 吹奏楽部の活動で、定期演奏会に向けた合奏中でした。卒業生の先輩方も大勢きていた日でその後、学校に泊まった方もいたようです。 | そのときしていたこと: 私は当時高校生で、14時46分にはほとんどの生徒が学校で部活動に励んでいたと思います。私は校内にいたのですが、最初は揺れに気付きませんでした。すぐにおさまるだろうとあまり気にも留めずにいましたが、めまいのようjな感覚に襲われ、これはいつもの地震ではないと感じました。 顧問の先生に指示されて、隣の教室に全員で避難し机の下にもぐりました。小学校のころから散々やってきた避難訓練が実際は何の支えにもならないのかもしれないと思いました。そこから眺めた外の風景は異様で、学校全体がゆっくりと移動しているかのようでした。なかなかおさまらない揺れに、思わず友人の手を握り「死にたくない」と言っていました。 その後全校生徒が校舎の外に避難したのですが、その時に何人かの女子生徒の悲鳴を聞き、とても動揺したことを覚えています。非現実的な状況に、初めは少し興奮していました。余震が続く中、道路を消防車が駆け抜けていく音を聞いたときに何か大変なことが起こったと実感しました。富士山が噴火するかもしれないと誰かが言うのを耳にしました。 |
そのときしていたこと: 新宿駅のバスターミナルにて、地元である群馬行きのバスを待っていた。 | そのときしていたこと: 国会図書館の新館新聞資料室で資料検索中に揺れを感じました。普段だとしばらくしたら収まる揺れがこの時は中々収まりませんでした。新聞資料室は文字通り新聞が中心で、棚から本がこぼれることはありませんでしたが、大きなスチールサッシの窓ガラスが今にも外そうな感じで揺れていました。中々収まらない揺れに動揺し始めたのですが、ようやく収まり、また余震が発生したりで、その時にはPCディスプレイが机から落ちたりしていました。ようやく落ち着いた頃に、さて、どうしようかと。その時の館内放送では「貸出し中止だが定刻まで開館」とのことでした。「確か国会図書館は地下5階くらいまであったはず。きっとどの建物よりも安心」と思い、しばらく休憩して、喫茶店でお茶を飲んだりしながら、午後7時直前に板橋の自宅まで向けて出発しました。その後、国会図書館は帰宅困難者の受け入れでずっと開いていたことを知りましたが、どの道常用薬の手持ちが無かったので、家に帰らざるを得ませんでした。それ以来、かばんに一週間分の薬を入れています。 |
そのときしていたこと: 自宅警備員してました。 | そのときしていたこと: 自宅にて、TVを観ながら こたつでゴロゴロ |
そのときしていたこと: 自宅でネットサーフィン | そのときしていたこと: 祖父母の家へ向かう途中でした。 |
そのときしていたこと: 地震のとき、私は放課後の教室で友達と期末試験の勉強をしていました。最初揺れ始めたとき、友達と「地震じゃねー?笑」みたいな感じでふざけながら話をしていました。しかし、廊下にあるロッカーの扉や窓がガタガタ鳴り始め、揺れが大きくなってくると、普段の地震なら怖いと思わない私達でしたがさすがに恐怖を感じ、物が落ちたりしてこない場所に避難しました。そのすぐ後に、先生が走ってきてグラウンドに避難しろと指示され、避難しました。放課後と言うこともあり、人数の把握が難しく、避難が完璧に終了するまで30分ほどかかりました。ただこのとき、先生達もどうしたらいいか分からないような感じで、あたふたしているのを見て、避難訓練はしっかりしておくべきだと感じました。 | そのときしていたこと: 下校中 |
そのときしていたこと: 自宅でごろごろしてました。 | そのときしていたこと: 修学旅行の班行動中でした |
そのときしていたこと: 友達の家で映画鑑賞をしていた。 | そのときしていたこと: 教室で模試を返されていたところだった。はじめは小さな地震だと思っていたが、急にガクンと大きく揺れ始め、みんなの机の中身が飛び出した。電気が消え、何時間にも感じるような揺れが続いた。窓際の子が避難してきて私の机の下に一緒にもぐった。その子のおびえた顔は今でもはっきり覚えている。揺れが落ち着いてから、ぐちゃぐちゃになった教室をでて避難したが、サイレンが鳴り響く中、グラウンドには大きな地割れができており、まるで現実ではないような光景だった。 |
そのときしていたこと: 一人で島村楽器にいて、楽器を見てました。 | そのときしていたこと: 自宅の自分の部屋で本を読んでいた。 |
そのときしていたこと: 起床前でした。シュトゥットガルトに留学中の友人がいたので、部屋に泊めさせてもらっていました。起きたら別の国から来ていた留学生が、「日本で大きな地震があったらしい」と教えてくれました。 | そのときしていたこと: 高校からの帰宅途中で、 都営三田線新板橋駅(最寄り駅)のホームに入りかけた時でした。 |
そのときしていたこと: 高校で10分休み。教室で友達と話してた。 | そのときしていたこと: 電車で学校から帰ってる途中だった。富山は地震に強いので揺れは感じず、TVをみて大地震を知った。 |
そのときしていたこと: ソフトボールの練習が終わり、最後に全員で集まって話をしているときに揺れを感じた。最初はただの地震かと思っていたけど、そのうち揺れが大きくなって、学校のまわりの電柱が倒れるかと思うほどの揺れを感じた。 | そのときしていたこと: 友達と会社の決算をしていました。 事務所の奥のテレビで津波の様子を見ました。 海沿いの道を車で帰るのが怖くて、その友人と二人身を寄せ合って寝ました。 |
そのときしていたこと: 家で一発芸の練習をしていました。 | そのときしていたこと: 授業の間の10分休憩が開始してから6分経過していて、次の現国の準備をしつつ、他のクラスの友人から借りた別の先生の現国の授業ノートを写していた。 |
そのときしていたこと: 美容院でデジタルパーマをかけてる途中でしたし、こんなに長く揺れが続く地震だとは思ってなかったし、 髪の毛にパーマ液をつけたまま外に出るのは恥ずかしいと思ってしまったため、美容院内で待機していました。 | そのときしていたこと: 部活中でした! |
そのときしていたこと: バイトに行く準備をしていました。 | そのときしていたこと: 高校で授業を聞いていました。関西圏であったので震災については全くわからず、平凡な日常を過ごしておりました。学校ではいつも通りでみんなとわいわいしながらしゃべったりして家に帰りました。途中友達からすごい地震あったそうやでと聞いたりしましたが、へえーと特に関心はありませんでした。本当に震災のことについてしったのは家に帰った直後です。たしか4時30分ごろに帰ると母がテレビをつけて津波の映像を見ていました。正直言ってあの映像は今でも本当に起こっていたとは思えないほどの衝撃でした。同じ日本に住んでいながらこんなにもひどいことが起こっている一方で自らは特に何もない一日を過ごしていたと考えると・・・。 |
そのときしていたこと: アルバイト | そのときしていたこと: 確か、石原都知事の会見が始まるのをテレビの前で待っていました。直ぐに映像が切り替わり津波が押し寄せて行くところが写し出されとても怖かったです。 |
そのときしていたこと: 確か、石原都知事の会見が始まるのをテレビの前で待っていました。直ぐに映像が切り替わり津波が押し寄せて行くところが写し出されとても怖かったです。 | そのときしていたこと: 家にいました。最初は震度3くらいの揺れでしたがすぐに経験したことのない揺れが来ました。揺れがおさまり、家の外へ出ると家の脇の水道管が破裂していて水があふれ出ていました。家のなかはめちゃめちゃに散らかってしまいました。 すぐに停電になってしまったので、同じように外へ出てきた近所の人たちとラジオを聞いていました。 |
そのときしていたこと: 仕事場で、パソコンを使って書類を作成していました。激しい揺れで、とっさにCtrl+Sで作業を保存。パソコンラックの上のほうにある文房具入れの引き出しが飛び出して、ケシゴムやプリンタの予備のインクなどが落ちてきたので、パソコンのキーボードを物が当たらない場所に入れ、なぜかデスク脇の書類の引き出しを押さえていました。ゆれがおさまってすぐみなの無事を確認し、ドアを開けて通路を確保し、パソコンを終了し、テレビのあるところに移動しました。 | そのときしていたこと: ドトールで友達と勉強をしていた。地震発生直後、客が一斉に店内から逃げ出すというおぞましい光景を目の当たりにした。 |
そのときしていたこと: ドトールで友達と勉強をしていた。地震発生直後、客が一斉に店内から逃げ出すというおぞましい光景を目の当たりにした。 | そのときしていたこと: 乗換の電車を待っている時に揺れにあった。揺れが治まらないうちに「震源は東北地方」のアナウンスがあり、その後駅構内から退避指示で駅前広場に出る。ロータリーに駐車した車のラジオが警報を流していた。その間にも何度も余震が来た。交通が回復する様子がないので、線路沿いの道を歩いて自宅近くまで帰った。着いたのは、9時過ぎ。歩いている途中、東の空に夕陽を受けた湧き上がるような大きな雲が見えたのが忘れられない。 |
そのときしていたこと: イベント事務所にてアッセンブリ作業をしていました。 夕方揺れが収まった後、事務所の方が、その日初めて会った僕ら全員を車で送ってくださったのが印象的です。 | そのときしていたこと: 高校で部活動(吹奏楽部)中で、教室の中、3人でパート練習中だった。 |
そのときしていたこと: 期末テスト期間中のため友達と勉強中に震災に。6階にいたため非常に揺れた。エレベーターが勝手に開いたり閉まったり繰り返していたのをよく覚えている。 | そのときしていたこと: 私はパスポートのための住民票を役所からもらってきて、パスポートを作りに行く前に自宅に帰ったところ揺れを感じました。自宅には私のほかに母がいて、ラックが倒れましたが、それ以外は特に被害はありませんでした。 |
そのときしていたこと: 高校の体育館で部活動をしていました。選手が常に動いていたため、体育館全体が元々揺れている感じがして、体育館の中にいる人たちはほとんど地震に気付いていませんでした。 | そのときしていたこと: 自宅でテレビを観ながら紅茶を飲んでいた。カップからお茶がこぼれそうになるほど強い揺れの中、念のため窓を開けて脱出路を確保しようとした。 |
そのときしていたこと: 母と家でテレビを観ていました。 地震がきて慌てて外へ出て、おさまったところで家に入ったら棚の上の時計や、CDラックなどが落下していました。それからしばらくしてテレビで津波の映像が流れたのを記憶しています。 | そのときしていたこと: 私は近所の桜並木道を散歩していました。 最初はそれが全く地震だとは気がつきませんでした。 私は勉強疲れで、眩暈がしているのだと勘違いしていました。 これは大変だ。道端で倒れてしまうと思い、木に寄りかかったところ、 木が揺れていたので、地震だと気が付きました。 でも、その時はまだそんなに大きいと感じませんでした。ただ、家のガスを消していたか不安になり、急いで家に帰りました。 私の家の中は、全く荒れた様子はありませんでした。 そんないひどい地震だと、全く感じなかったので、テレビをつけて凄く驚きました。その時、初めて津波の映像を見たときは、ただ唖然としていました。 でも、今その映像をテレビ番組などで再び流しているのを見ると、とても気分が悪くなります。私はあの日のあの映像が衝撃的すぎて、見ていて辛すぎて、津波の映像を流す震災番組は大嫌いになりました。 |
そのときしていたこと: 家でのんびりDVD鑑賞していたらグラッと揺れました。身の危険までは感じませんでしたが、家電などの落下を防ぐため、揺れている間は家の物を支えていました。揺れが収まり外に出ると、近隣住民の方も道路に出ていました。 | そのときしていたこと: テレビを見ていた |
そのときしていたこと: 学校から駅に向かって歩いていた | そのときしていたこと: 学校で部活をしていました |
そのときしていたこと: 18時まで学校の体育館で部活をやっていて 携帯がずっと圏外でした。 うちに着いたのが8時くらいで、 テレビを見て地震が大きなものだったと 知りました。 | そのときしていたこと: 高校のグランドでサッカーをしていた。 |
そのときしていたこと: 自宅で友人とたこ焼きを作って食べていた。 次の分を作ろうと立ち上がった時に揺れ始め、テーブルの下に隠れてどんどん強まる揺れに困惑していた。 | そのときしていたこと: ぼろいビルの5階にあるボーリング場に友達4人といました。宮城はよく地震がくるし、何日か前にも地震があったので揺れ始めは『あ、地震だー』といういつもの反応でボーリングを続けてました。しかし、次第に強くなる揺れを感じ始め立っていられないほどになったところで、机の下に潜りました。揺れはおさまらず、まるで絶叫アトラクションに乗っているようでした。なにか足に冷たさを感じ、よく見てみると水が辺り一面に広がっていました。上を見てみると、天井がはがれ、天井についていたテレビはコードだけでぶら下がっており、水道管が破裂していました。それを見た瞬間本当に死ぬと思い、まだ続くとてつもない揺れの中友達にしがみつきながら半泣きで『死にたくない!』と何度も叫んでいました。その後、従業員の方が客を全員誘導してくれボーリングシューズのままなんとか外に出ることが出来ました。(未だに家にある)あの時、揺れがまだ大きい中誘導してくれた従業員さんには本当に感謝しても仕切れなかったです。外にでたあとは、とりあえず広い所に行こうと思い公園に行きました。その日は雪が降るほど寒く、びしょびしょになった私たちは震えながら、余震がおさまるまでその公園でおのおの家族との連絡を試みたり、ワンセグで地震の情報をみたりしていました。街中の公園だったので避難してくる人が多く、少し心が落ち着いた気がしました。 その後、時間も大分たってどうしようもなくなったので、自分たちの高校に行ってみることにしました。(高校は歩いて行ける距離にあった。) 私は仙台駅から近い所に住んでいたので途中で母の仕事場により、合流してから帰ることができました。4人の友達は、家がとても歩いて帰れる距離になかったので、何日間かはそのまま学校に寝泊まりしたそうです。その後のライフラインがとまった生活が一番大変でした。わたしは東京にくるまでお風呂に入れなかったです。しかしボランティアに行った避難所の状況の方がとても大変そうでした。あの日からの何週間かは一生忘れられない記憶になりました。忘れちゃいけないと思っています。 |
そのときしていたこと: バイトの面接を受けていました | そのときしていたこと: 翌日の首都大後期入試のための準備 |
そのときしていたこと: 高校の部活中。(野球部)ウォーミングアップのダッシュをしている瞬間でした。走っていたので、揺れに気づいた人とそうでない人が半々でした。 | そのときしていたこと: 母と買い物をしていた |
そのときしていたこと: パチンコを打っていたら、突然揺れとともに電源が落ちて、お客全員で避難した | そのときしていたこと: 食べ物を買おうとお店に並んでいました。 |
そのときしていたこと: 26階で商談中。向かいのビルが揺れているのが見えた。 | そのときしていたこと: 自宅でTVを見ながらくつろいでいました。 |
そのときしていたこと: 六時間目の数学の時間。いつものように先生の解説を聞きながらノートを取っているときだった。 地震が起き、机の下に潜っている最中「この地震は東北で起きた地震」だということを知り、急いで仙台にいる親戚にメールを打った。 | そのときしていたこと: 自宅にいました |
そのときしていたこと: リビングでテレビを見ていました。3階でしたがかなり大きく揺れました。 | そのときしていたこと: 家にいました。棚の洗剤などが落ちてびっくりしました。 |
そのときしていたこと: 自宅で勉強をしていました。 揺れはなく、ふとTVをつけるとどの局も大変な騒ぎで 津波が襲ってくる様を生中継で見ていました。 | そのときしていたこと: 首都大の入学願をかいていたような気が・・・・ |
そのときしていたこと: 球技大会でのサッカー終了後に 部室で寝てた。 | そのときしていたこと: 友人ら5人でスパーリングをしていた。体を動かしてはいたものの揺れと周りの人びとが外に出てきたため、一時中断した。外にいたからかそんな大事態になってるとは思わなかった。 |
そのときしていたこと: 高校で模試を受けていた。 | そのときしていたこと: アルバイトに行く準備をしていた。 |
そのときしていたこと: 高校のひとつ上の学年の卒業式の日で、友人3人と4階の教室でしゃべっていました。その頃小さめの地震が頻繁に起きていたので、その時もまたきたねーという感じでいましたが、だんだん強くなっていき窓ガラスがガタガタと揺れ、机もぐちゃぐちゃになりました。かなり長かった揺れがおさまり校庭に避難しましたが、その後も再び大きな揺れが訪れ、周りのビルがしなるように揺れているのを見ていました。 携帯が繋がらず外の様子が全く分からないまま、電車が動いていなかったため学校に一晩泊まりました。学校から家に帰り、テレビを見て初めて被災地の状況を知り、ひどくショックを受けました。 | そのときしていたこと: 期末試験の最終日。教室で友人と話していました。 |
そのときしていたこと: 香港でのプロジェクトの工事管理のため出張中に地震発生。ツイッターにて地震を知るがどうすることもできずUSTREAMで誰かが中継したNHKで自体のひどさに驚嘆する。 | そのときしていたこと: 友達とショッピングモールで 買い物をしていました。 |
そのときしていたこと: 高校の体育の時間中で、テニスコートにいました。地面が大きく揺れ、山を切り崩した場所に立地していた為、土砂崩れしないか心配でした。 | そのときしていたこと: 友達と大阪に旅行に来ていて、アメリカ村で買い物をしていた。 |
そのときしていたこと: 学校から帰って、休憩していた。 | そのときしていたこと: 高校で班活動をしていました。 生徒だけでプレハブのような建物で練習していて、ドアを開けに行きました。 |
そのときしていたこと: 大学の後期試験に向かう電車の中でした。 2時間ほど電車内に閉じ込めれた後、最寄駅まで線路を歩きました。 自宅からも宿泊先からも遠かったので帰宅難民となり駅は余震の中混乱している様子でした。 | そのときしていたこと: 学校にいた。部活の練習中だった。正直最初はここまで大きな地震だとは思わなかった。校舎の外に避難するよう指示され、先生方の対応をみて、事態の大きさに戸惑った。 |
そのときしていたこと: 駿台予備校の自習室で友達とだらだらしてました。そのあとイトーヨーカ堂の最上階にあるテレビで地震の情報を見ていました。その間もよ震が何度もなりました。それから歩いて家に帰りました。 | そのときしていたこと: 友達の家で地震にあい、親が雪の降る中慌てて迎えに来てくれました。停電でテレビも見られない状況だったので、初めて被害の深刻さを知ったのは次の日の夕刊でした。 |
そのときしていたこと: 就活のためのテストセンターを受験した直後。 あまりに大きい揺れだったため、駅前に避難したのですがその後近くの避難場所である公園へ向かいました。 | そのときしていたこと: 自宅で棚が倒れないようにおさえていた 母親が情けない声を出していたのを覚えている |
そのときしていたこと: 近くのホームセンターから家に向かって歩いていました。母も近くの場所を歩いていたのですが、駐車場の車が地震の揺れでガタガタと動いていたそうです。 | そのときしていたこと: 大学にて講義を聴講中。 |
そのときしていたこと: 大学にて講義を聴講中。 | そのときしていたこと: 大学にて講義を聴講中。 |
そのときしていたこと: 家の自室でPCを使っていました。家にいたのは、母と私の二人でした。揺れが始まった瞬間、まずは逃げ道確保をと思い急いで玄関のドアを開け放ちました。今思い返すと、当時は本当に焦ってしまっていて、冷静に行動できたとは到底言えませんでした。家の前を通る電線が、それまで見たことがないという程大きく揺れていたのがとても印象的でした。 | そのときしていたこと: 部活の練習を始めようと、みんなでミーティングをしていた。校庭の真ん中に立っていたが、大きな揺れを感じた。 |
そのときしていたこと: 東北地方太平洋沖地震が起きた同時刻は、高校の生徒会室で、パソコンと向き合って作業をしていました。 長周期的なゆっくりとした揺れで、その始まりに最初は気づきませんでした。 しかし、黒板がかすかに揺れていたこと、そして後輩の「プールの水がバシャバシャとはねている!」という声で地震で床が揺れていることに気づき、すぐに室内から出ました。 揺れがおさまりしばらくして職員室を訪れると、先生方が注視しているTVから、大地震が起こり津波が押し寄せているという、非常にショッキングな報道がその光景とともに流されており、衝撃をうけました。その後、帰宅しようとしましたが新幹線や電車が止まっており、震源から遠く離れたこんな場所にまで影響を及ぼす大地震の恐ろしさを感じ、また、さらには、来る東海地震に対する潜在的な恐怖を感じえなかったことを記憶しています。 | そのときしていたこと: 高校の同級生と買い物 |
そのときしていたこと: 高校で英語の外部テスト受けていました。リスニングの最中でしたが、最初は普通の地震程度だったので気にせずテストを受けていました。しかし、だんだん揺れが増していきリスニングどころでなくなったところで、テストが中断になり机の下にもぐらされました。まれなケースだったためか、監督者も動揺しこっちへの連絡通達が遅れたのがとても印象に残ってます。 | そのときしていたこと: 私は翌日の後期日程の入試に備えて、高校の教室で勉強している最中でした。教室には私を含めて3人の生徒がいました。みんな突然の出来事に驚きましたが冷静に次の行動を考えられるだけの余裕を持っていました。揺れが収まり、校庭に避難した後、私は徒歩で3時間ほど歩いて帰宅しました。 |
そのときしていたこと: 家に一人でいるときに自信が起きた。冷蔵庫の中身が飛び出し食器棚が倒れ、ブラウン管がひっくり返った。家がアパートの三階だったのでこのまま床が抜けて、落ちて死ぬんじゃないかと思った。 | そのときしていたこと: 高校で部活動をしていた。 |
そのときしていたこと: 自宅にて楽器の練習 | そのときしていたこと: 南大沢からの帰宅途中。階段を上っていたら地震が起き、最初は何が起きたかわからなかった。家族に連絡をとりたかったが携帯からは連絡が取れず、公衆電話から連絡を取った。この時メディアの耐性という側面について改めて考えさせられた。 |
そのときしていたこと: 家でテレビを見てごろごろしてました。 | そのときしていたこと: 学校から帰ってきて、ちょうどベッドで一息ついていた。 |
そのときしていたこと: 家でテレビを見ていました。 | そのときしていたこと: 学校で勉強していました。 |
そのときしていたこと: 学校に行くため、駅に向かって歩いていました。ふらふらしてきたので自分に異変があるのかと思ったら地震でした。駅前には立ち止まって電話やメールなどをしている姿が多く見られました。京王線が止まっているのが確認できました。 | そのときしていたこと: その日はテスト最終日だったので友人と昼食をとった後ヤマダ電機でiPadで遊んでいました。 地震後は近くのイオンで親が車で迎えに来るのをを待ちました。 |
そのときしていたこと: 自宅で勉強していた。マンションの10階だったせいか、家具が倒れたり、棚の物が落ちてきたりして、家の中がめちゃくちゃになった。 | そのときしていたこと: 自転車をこいでいた。 地震に気づかなかった。 |
そのときしていたこと: 自宅で姉と一緒に英会話のビデオを見ていた | そのときしていたこと: 後期試験のための勉強中に地震が発生。 山積みの参考書が崩れないように押さえていた。 |
そのときしていたこと: 胃が痛かったため、自宅のソファーで横になりつつ、TBSで再放送していた「金八先生」を見ていました。 緊急地震速報よりも早く揺れが来ました。 | そのときしていたこと: 学校で期末テストの勉強をしていました。 |
そのときしていたこと: 自宅に姉と二人でいました。定期試験期間だったのでリビングで英語の勉強をしていました。 | そのときしていたこと: 友達と紙を買いにレモン画翠来ていた。 |
そのときしていたこと: 学校の模試中で最初はすぐ終わるかなーと思っていた。3階にいたのでとても揺れを大きく感じた。あまり周りの人は動揺はなかったが、携帯を見て震源地の震度が7だったことにとても驚いたことを覚えている。 | そのときしていたこと: 打ち合わせのため、付近のシネコンのロビーにいた。地震が大きくなった途端、シアターからスゴい数の人が流れ出てきて、「映画の災害シーンみたい」トオモッタ。 |
そのときしていたこと: 職場(1F)にいました。大きな揺れだったので、TVをつけたら、宮城県沖が震源地と。何日か前にも地震があったし、津波を心配しました。揺れが収まらず、大きな音がして、怖かった。テレビを見続けることは出来ず、机の下に。収まると、机の上のコーヒーがこぼれ、引き出しは開いていました。避難指示により外へ。ツイート検索をしたら、山手線は止まっていました。今日は電車では帰れないと思いました。 | そのときしていたこと: 学校の自習室で友達と勉強をしていました。 |
そのときしていたこと: 帰宅のため友達と駅に向かっていた。 | そのときしていたこと: 京王線への乗り換えを駅員に聞こうと順番待ちをしていた。 |
そのときしていたこと: 「天屋」という飲食店にいて昼食を食べようとしていた。 | そのときしていたこと: 部活のバドミントンをやっていた。揺れてる間は中断した。 |
そのときしていたこと: ひとりでアパートにおり、寝っ転がりながらPCで課題をしていました。 | そのときしていたこと: 自宅にいた。 |
そのときしていたこと: 昼寝をしていた。親に起こされて地震があったと言われ、テレビで津波を観たときは実感がわかなかった。 | そのときしていたこと: 部活の仲間とボーリングをしていた。地震が発生してすべてのピンが倒れて、天井に釣り下がっていたスコア画面が左右に激しく揺れていた。 柱には地震によってヒビが入っていた。 |
そのときしていたこと: 地下鉄錦糸町駅にいました。「大きな地震を観測しています」という駅の放送で地震の発生を知りました。地下だったせいか、売店のものが落ちることも、立ち食いそば屋の食器が音をたてることもありませんでした。壁を支えに立ち止まったままだと揺れをあまり感じなかったので、2、3歩歩いてみたらうまく歩けず、今まだ揺れてるんだと思いました。地上に出てみると多くの人が外にいて驚きました。大きな揺れを経験していないので、状況がうまく認識できず混乱しました。 | そのときしていたこと: 3.11は高校の卒業式で、終了後打ち上げまでの時間つぶしのため数名の友人とファミレスにいた。そこは3階建ての建物で私たちは3階にいた。地震発生時、最初はそんな大きい地震が来るとは思っていなかったが、ほかの客が悲鳴を上げながらお金も払わないで逃げていくのがすごく記憶に残っていて、すこし焦りを感じたのを覚えている。その後強い揺れが来て、私たちは机の下に隠れた。その間に食器棚が倒れ皿が割れる音が凄まじかった。 |
そのときしていたこと: 翌日の後期試験に向け過去問に取り組んでいました。 | そのときしていたこと: 数学のテスト中でした。 はじめはちょっと大きめの地震というくらいだったので、皆、テストなくなるんじゃなーい?と笑っていましたが、だんだん笑ってられないくらいの揺れになり必死で机の下にもぐりました。 揺れがおさまってから周りを見渡すと、棚のものは落ち、エアコンは傾き、教室の中はめちゃめちゃでした。 そのまますぐに校庭に避難し、友達と身を寄せ合いながら余震に耐えました。 携帯はつながらず、ラジオでは茨城のことはあまり報道してもらえず、様々な情報が錯綜している中で、家族の安否すら分からないままただじっと耐えるのは本当に怖かったです。 |
そのときしていたこと: 定期テストが終了し、高校のグラウンドで部活動をしていた。 激しい揺れが長く続き、立っていることもままならず、皆座りこんだり地に伏したりしていた。屋上プールの水が溢れ、校舎周辺にいた人ではびしょ濡れになっている人もいた。帰宅するための電車も止まってしまい、歩いて帰っていると、埋立地付近では液状化現象が起き、泥水が溢れでてきていたり、地割れが起こっているところもあった。 | そのときしていたこと: 大学入試のため、和歌山大学の後期試験を受験するために試験前日である2011年3月11日の震災の時は、関東から和歌山に向かう列車の中にいました。 |
そのときしていたこと: 学校が入試会場で部活ができなかったため、自宅の自分の部屋で課題をやっていた。 | そのときしていたこと: 風邪をひいて寝込んでいた 家具がどんどん倒れていったが、ロフトベッドの上に居たから下敷きにならず済んだ |
そのときしていたこと: 家で期末試験の勉強をしていた。 | そのときしていたこと: 洗濯物を畳んでいる最中でした。 |
そのときしていたこと: こたつに入ってテレビを見てた。 | そのときしていたこと: 自宅で先輩とテレビゲームをしてました。 |
そのときしていたこと: 後期試験を受けるために駅へ向かう車の中でした。はじめは車のパンクだと思ったのですが余りの揺れの大きさに暫くして地震だとわかり、車を歩道へと寄せ停車させました。田舎道のため、幸い事故は起きませんでしたが、大学へ向かうための電車は止まり後期試験は受けられなくなりました。 | そのときしていたこと: バスを降りて、駅まで歩こうと、キャリーバッグをひいて歩いていました。 |
そのときしていたこと: 2011年3月11日は、自宅でバイトに行く準備を終えてコタツにいました。いきなり時計が落ちて、地震だと気づきました。そこから長かったように感じたのでとりあえずテレビをつけました。すぐには情報が流れず、焦っていたけれど動けず、コタツだけ切って待機していました。しばらくしておさまったので、一度バイト先にいき、皿と酒が割れていて今日はないと言われ自宅に帰ってきました。その後はテレビをみ、ラジオを近くに準備して待機していました。自宅は本棚から本が何冊か落ちただけだったのですぐ片付きました。一番怖かったのは、家族と連絡がつかないことでした。 | そのときしていたこと: 祖父、父、姉と自宅に居た。お茶を飲んでいたら揺れ始めて、次第に揺れが普段体験しないくらいに大きくなり、本棚の本やCDが崩れ落ちてきた。猫は中腰になって走り回っていた。揺れている間は何もすることができず、ただ揺れが収まるのを待っているだけだった。 |
そのときしていたこと: 模擬試験を受けるために机に座っていた。 予定していた模擬試験は中止になりました。 | そのときしていたこと: 自宅で録画していたテレビを見ていました。 |
そのときしていたこと: 駅のホームで、電車を待っていた。揺れ始めた直後、駅を電車が通過し、駅が揺れていたので、地震そのものの揺れを体感していない。また、緊急地震速報もならず、テレビで事を重大さを知った。 | そのときしていたこと: 昼寝 |
そのときしていたこと: 天屋という飲食店で昼食を食べていた。 | そのときしていたこと: 音楽を聴きながら机の周りを片づけていました。 |
そのときしていたこと: 修学旅行の最終日で空港にいました。 | そのときしていたこと: ちょうど体育の授業でバスケをしていました。 突然バスケのゴールが大きな音をたてて揺れはじめ最初はみんな何が起こっているのかわからずにいましたが、先生たちが地震に気づきそのまま校庭に避難しました。 |
そのときしていたこと: 家にいて、台所で水を飲んだあと、ソファーで寝転んで、録画しておいたテレビ番組を見ていた。一人で家にいたので、かなり恐怖を感じた。最上階だったので、揺れも立っていられないくらいだった。 | そのときしていたこと: 定例会議を行っていました。 |
そのときしていたこと: 家で家族といた。 特に何をしていたわけでもなくソファに座ってた。 | そのときしていたこと: 学校が停電し、気温が下がって寒かったのでみんなで一か所に集まっていた。 |
そのときしていたこと: 高校の授業を受けているところだった。 | そのときしていたこと: 友達とマクドナルドで話をしていたときだった。地震には一切気づかなかったが、後からニュースで知った。テレビの向こう側はまさに非日常で、自分のいる日常との乖離に強烈な違和感を感じた。 |
そのときしていたこと: 震災時私は先輩の卒業式を終えて部活の先輩達にお礼の言葉を話している最中でした。 | そのときしていたこと: 図書館で勉強していました。 |
そのときしていたこと: 高校の二階の教室で数学の授業をしていました。 ロッカーの中身が全部飛び出し、本棚が倒れてきました。 二度目の大きな揺れでは、何かが爆発するような音と共に、体育館の窓ガラスが一瞬で弾け飛びました。 幸い怪我人は出ませんでしたが、あまりの衝撃にみんなその場で立ち尽くしていました。 | そのときしていたこと: 家で寝ていました。 前日のバイトの夜勤にくたびれて、かなり深い眠りについていました。 普段、地震などの揺れで起きる事は無いんですが、あの日から 小さな揺れでも起きるようになったのを覚えています。 |
そのときしていたこと: 高校(都立田園調布高等学校)の音楽室で合唱コンクールの練習をしていた。4階にいたためにかなりの揺れを感じた。その後教室に行きまた強い揺れを感じた。立っていられいほどの揺れで、怖さに震えている人や、仙台にいる祖母を心配して泣いている人もいた。その日は家に帰れず学校に泊まることになった。 | そのときしていたこと: 自宅で金八先生の再放送を1人で見ていました。 |
そのときしていたこと: 書類を郵送するために自転車で郵便局に向かっていた。 | そのときしていたこと: 修学旅行中で、泊まるホテルに向かうバスに乗っていた。 |
そのときしていたこと: トレーニングジムでランニングマシーンを使っていた。 揺れは自分が動いていたせいもあってあまり感じられなかったが、周りの人は揺れを感じていた。 大きな機具も少し揺れたらしい。 | そのときしていたこと: 駅前のマクドナルドで塾に行く前に母親と遅い昼食をとっていました。地震が発生すると、店内の照明が揺れ、窓ガラスにあたり、割れそうで怖かったです。みんな一斉に外へでていきました。コーヒーがこぼれて手が火傷したのを不運に思いましたが、帰宅し、被害の大きさをしったときはそんな自分がくだらなく思えました。 |
そのときしていたこと: 学校で授業を受けていた。 | そのときしていたこと: 日本史の補講のため学校にいました。 |
そのときしていたこと: ちょうど学校から自宅に帰ってきた瞬間に大きな揺れを感じた。 一人だったのでしばらく固まって何もできなかった。 | そのときしていたこと: 学校の図書館で読書をしていた 弱い揺れが長時間続いた |
そのときしていたこと: 家で昼寝していました。 | そのときしていたこと: オナニーしてたのですが地震がきて手の振動が一層激しくなりました |
そのときしていたこと: 先程はすいませんでした。ふざけてしまいました。ごめんなさい。 本当は学校の美術室にいました。 | そのときしていたこと: 学校で授業を受けていました。 |
そのときしていたこと: 家で一人でテレビを見ていた。 | そのときしていたこと: 私は部室で友達たちとおしゃべりの真っ最中でした。 はじめはみんな椅子に座ったまま「あー、なんか揺れてるねー」と話していましたが、揺れは一向にに治まる気配がなく、むしろ強くなっていてあわてて校舎の外に避難しました。 実は私の学校はとても古く、震度5強で天井が崩れるかもしれない、と言われていました。避難するときも壁がみしみしと音をたてていて、このまま天井が崩れてくるのではないかと思いました。 とにかく校舎の中にいるのは危険で、外に出れば大丈夫だと漠然と考えていた私は、校舎の外に出てもなお足元が激しく揺れていて、これからどうすればいいのだろう、一体どこに行けば安全なのだろう、という恐怖と途方もない不安でいっぱいになったのを、今でもはっきりと覚えています。 |
そのときしていたこと: 浪人が決定し、失意の中で黙々とゲームをしてました。 | そのときしていたこと: 新宿駅前で友人と食事をするために待ち合わせをしていました。 震災発生と同時にビルから多くの人が出てきてパニックになっていました。 その後、世田谷区の自宅まで歩いて帰りました。 |
そのときしていたこと: 部活 | そのときしていたこと: 自宅の自分の部屋のベッドの上で、PSPを片手にうたた寝をしていました。携帯電話が異常な警告音を発している事に気付き、恐怖を覚え、飛び起きた瞬間に家が大きく揺れました。家に一緒にいた家族と一緒に、急いで家の外に出ました。近所の人たちも出ていました。しばらくみんなで電柱の揺れなどを見て過ごし、揺れがおさまったのでまた家に戻りました。再び大きな地震が来たので今度は避難グッズを持って外に出ました。何度もそれを繰り返してるうちに、近所の人たちは誰も出てこなくなりました。外は久々の大雪で、雷まで鳴っており、何故こんな日に地震までくるのかと思いました。愛犬が怯えて怯えてずっとしがみついてきました。避難所に行くことになったら、この子はどうなるんだろうなど、色んな不安が頭に浮かびました。 |
そのときしていたこと: 自宅で、翌日の国立大学の面接試験に備えての対策を練っていた。そこに地震がきた。はじめはすぐに治まるだろうと思い、作業を続けた。しかし、始まって1分が過ぎた頃これはおかしい、とおもい部屋を飛び出して両親と合流した。その後、祖父母の様子をみに行った。祖父母はとても落ち着いていて、こたつから出ようとしなかった。祖父母のまわりを背の高い本棚が囲っていたので、倒れてこない様に押さえ付けた。地震が治まってからは、ただただテレビを観てるだけでした。 | そのときしていたこと: 家の鍵を持ってなくて家に入れずに 自転車で近所を散策してました。 電灯がガッチャンガッチャンと揺れ始め、凄い風が強いんだなあ と思い、自転車を止め、足を着いたら地面が揺れていて驚きました。 そばにあった川は波打ってました。 |
そのときしていたこと: 私は一浪して首都大に入学したので、当時は後期試験に向けて家で勉強をしていました。私が住んでいたところは震度5でしたが、物が落ちることもなく、「揺れてるなー」程度でしか考えていませんでした。なので何気ない気持ちでTVをつけた時の衝撃は今でも覚えています。 | そのときしていたこと: 僕は学校が午前授業だったので家にいてリビングでテレビを見ていました。 内容は覚えていません。 地震が起こる前に飼っている犬や近所の犬が吠えていたのを覚えています。 |
そのときしていたこと: 家で勉強 | そのときしていたこと: 私は正確には地震発生時、東京上空にいました。 後期試験のために飛行機に乗って羽田空港へ到着する直前に 東日本大震災は発生しました。飛行機内では『東京にて震度5の地震が発生したため、当機は羽田空港上を旋回し受け入れ準備が整い次第、他の機と調整して着陸いたします。』とアナウンスがあり、はじめは津波が起こったなど詳しい情報は全く得られていませんでした。それから、羽田空港で電車を待っていましたが、全線運休となり、空港で寝る人や災害グッズが配られる中、タクシーやバスは何時間も待たなければならなかったので、徒歩で下丸子まで歩いて親戚の家へ向かいました。電話もメールもつながらず、道もわからなかったので不安でしたが、携帯の地図アプリを用いて向かうことができ、携帯の便利さを痛感しました。 |
そのときしていたこと: 家にいて一人でした。翌日の模試にそなえて勉強していました。 | そのときしていたこと: 仮眠をとっていました。 |
そのときしていたこと: 犬を抱えてテーブルの下にいた。 | そのときしていたこと: 受験勉強 |
そのときしていたこと: 家でテレビをみていた | そのときしていたこと: 学校で授業を受けていた。 |
そのときしていたこと: 高校のグラウンドで、部活をしてました。 結構、大きな地震だと感じましたが、部活は続行され、部活後、部室に戻って携帯を見ると、大変なことになってました。 | そのときしていたこと: 家でぼーっとしていた。 |
そのときしていたこと: 友達と遊ぶために家を出る直前でした | そのときしていたこと: 普段と変わらぬ日常。 次の日が大学入試後期日程だったので震災発生には驚愕した。 |
そのときしていたこと: 学校でライフルを撃ってました。銃がブレて良く狙えなかった。 | そのときしていたこと: 学校で化学のテストを受けてました。校外に避難しました。 |
そのときしていたこと: 講堂でサークル活動をしていました。当初は大規模災害であるとの情報や危機感を感じる事はなく、そのまま活動を続け日常通りに暮らしました。昼にガスが止まっていて営業を停止している店舗が駅前にありました。 | そのときしていたこと: 本屋で雑誌を立ち読みしていたら、目眩がしたような感覚がして、顔をあげたら男女の学生や店員が地震か?と話していて、地震だと気付いた。しばらくゆれた。本屋の吊るし広告がそこそこ揺れていた。家に帰ると母親がニュースを見て絶句し、涙を流していたことを覚えている。 |
そのときしていたこと: 授業中 | そのときしていたこと: 学校の数学の授業中で、小テストを実施していた。 |
そのときしていたこと: 家でゴロゴロしていた | そのときしていたこと: 友達4、5人とドライブをしていた。 |
そのときしていたこと: 部屋でパソコンの前に座りネットサーフィンか何かをしてた。 揺れたあとは本棚の本がほとんど落ちて、パソコンのモニタも倒れていた。 | そのときしていたこと: 春休み中でしたが、学校に来て、教室で友達と自習をしていました。 |
そのときしていたこと: 高校の講習も終わりちょうど布団の中でうとうとしていました。なので、「明日友達にCD貸さなきゃ。」などとちんぷんかんぷんなことをいっていました。 もっとも、停電や計画停電などで後々散々な目にあいますが…。 | そのときしていたこと: 自宅にいました。 |
そのときしていたこと: 耳鼻科に行く途中 | そのときしていたこと: 耳鼻科に行く途中 |
そのときしていたこと: 車に乗って信号で止まっていました。車に乗りながらもかなり揺れを感じたのを覚えています。 | そのときしていたこと: 高校の部室で部員達と弁当を食べていた。 |
そのときしていたこと: 高校でソフトテニスをしていた。初めて経験する大きさで怖かった。友達は泣いていた。 | そのときしていたこと: 家にいて、テレビを見てた。 |
そのときしていたこと: ちょうどその日に高校2年の学期末テストが終わって、帰りに母とデパートでご飯を食べてから、4か5階くらいのお店を見て回っていた時に、母が「揺れてる!」と言った。最初自分は全然わからなくて、でも確かにピンと立ち止まってみるとトントントンと小さく縦に揺れているのが分かった。だんだん横揺れになって大きくなるものの「4くらいだろう」と思っていたが、そのうち明らかに様子が違う揺れ方になり、そうこうしているうちに立っていられなくなった。お店の人が「店の中にいてください!連絡通路(すぐ近くに隣の建物とをつなぐ通路があった)は危険なので近寄らないで!」と言っていたのをすごく曖昧だが覚えている。母と自分はしゃがんで、そのとき家に一人だった兄に、揺れている最中に真っ先に電話を掛けた。確かそのあたりが揺れのピークだったと思う。かつてない横揺れだった…。揺れは5分以上続き、おさまって立ち上がったあたりで兄が電話に出た。なんとか無事だった。家具を一通りおさえて食器棚の戸を閉めガスを見てそれから外に出て電話に出たそうだ。家の外は砂埃がすごかったらしい。兄と電話をつないだまま、しばらくして避難階段から外に出たが、駅がひどく混み合っていて、改札のモニターにはNHKの映像が映し出されていた。それを横目に、幸い家がすぐ近くだったのですぐ帰った。家の中は、倒れてしまった家具もあったが兄のおかげで大きな被害はなかった。薄暗い中家具を応急である程度元通りにして、ラジオを持ってしばらく玄関の外で情報を聞いていたが「津波10m」だとか耳を疑うような情報が入ってきて正直つらかった…そんな最中にも度々大きな揺れがあったので気が気ではなかった。母は上の階や下の階の人と話をしていたりもした。本当に一人じゃなかったのが一番の幸いだと思う。18時頃に電気が復旧したのでやっと映像での情報を仕入れることができたがもう精神がパンクしかけていた。この日からしばらく(実は今でも)、家に一人でいることができなくなってしまった。 | そのときしていたこと: 自宅でDVD観賞 |
そのときしていたこと: 自宅でDVD観賞 | そのときしていたこと: 自宅の自室で勉強。 |
そのときしていたこと: はっきりとは覚えてませんが、金曜日だったのでおそらく学校にいつも通り言ってたと思います。 3月11日にニュースを見ましたが、そのときは「大きい地震があったんだ」ぐらいにしか思ってませんでしたが、次の日、また次の日と毎日地震についてのニュースをみていく中で、事の大きさを感じたのははっきりと覚えています。 | そのときしていたこと: 学校で卒業式に向けて、友達と教室で先生たちへのビデオレターを作っていました |
そのときしていたこと: 海辺で遊んでいました。帰りにタクシーの運転手さんに東日本大震災について聞かされたのです。 | そのときしていたこと: 高校の敷地内で次の日の練習試合の準備をしていた。初めは「あ、地震だ」程度にしか思っていなかったが、揺れが大きくなりこれはどこかで大きな地震があったにちがいないとわかった。銅像が倒れたりした。座り込んでいる人もいた。 |
そのときしていたこと: カフェで母親が駅に来るのを待ってた | そのときしていたこと: ゲームをしていた。 |
そのときしていたこと: 弓道 | そのときしていたこと: 学校で試験を受けていました。地震の揺れが大きく、現実のように思えませんでした。 |
そのときしていたこと: 学校から帰ってきたばっかりで家でのんびりしていた。 | そのときしていたこと: 学校の教室で政経の模試を受けていました。最初は小さい揺れだったので皆試験を続けていましたが、大きい揺れに変わったので、皆机の下にもぐりました。教室の一角では、天井の壁から水が流れ出てきているところもありました。 揺れがおさまると先生の指示に従って皆でグラウンドに避難しました。避難してしばらくしてから、二度目の揺れが来ました。近くの球場のライトが激しく揺れていて、折れてしまわないかと、怖かったのを覚えています。 その後、徒歩で帰れる人は自宅に帰り、その他の人は学校の自習室に避難しました。私が通学に使っていた路線も止まっていたので、私も自習室に行きました。その間、揺れもおさまっていたので、近くのコンビニへ夕食を買いに行ったりしましたが、沢山の人が買いに来ていたので、品数は少なく、レジに並ぶ人もすごい列になっていました。なかには、家に帰れなくなったのをいいことに、会社で飲もうとビールを買っている人もいました。今考えるととてつもなく不謹慎なことですが、その時はテレビを見ることもできなっかたので、東北地方の悲惨な状況がわからず、自分自身、学校に皆で残っていることを内心楽しんでいました。 自習室で勉強していた3年生のなかには、次の日が国立大学の後期試験日という人もいて、不安を口にしている人も多かったです。 その後、いくつかの路線は運行を開始し、私の使っていた路線も動き始めたので、友だちと一緒に家に帰りました。電車に乗ってからも、駅に着くたびに数分止まっていたので、なかなか進まず、家に着いたのは、11時半頃になったように思います。 その日は疲れていたのですぐに寝てしまい、ニュースを見たのは次の日でした。津波の恐ろしい映像が流れていて、昨日、私が友だちと呑気に話していたときに、こんなことが起こっていたのかと、衝撃を受けました。 |
そのときしていたこと: 病に倒れ、病床にあった父のお見舞い。 | そのときしていたこと: 鹿児島中央駅の隣にあるアミュプラザ鹿児島で母とショッピングをしていました。3月12日に行われる予定のだった鹿児島~大阪間の新幹線開通イベントの準備もされていて賑わっていましたが、地震のためイベントは自粛されました。 |
そのときしていたこと: 買い物していました。周りの人たちは地震?と騒いでいたけど、私は全く気づきませんでした。家に帰ってニュースを見て大震災のことを知りました。 | そのときしていたこと: 自分の部屋で読書をしていた。 |
そのときしていたこと: 学校で部活をやっていた。 | そのときしていたこと: 高校で授業を受けていた。 |
そのときしていたこと: 友人を家に招き、ゲームをしていたら窓がガタガタ鳴り出し、今日は風が強いなーなどと思っていたら家自体が震えていることに気が付き、急いで外に飛び出しました。 | そのときしていたこと: 駅のホームで電車を待ってた |
そのときしていたこと: 卒業式後の卒業祝う会(謝恩会)でビデオを撮っていました。 | そのときしていたこと: 授業が早く終わり、部活に参加していたところ、外野での守備中に大きな揺れを感じました。屋外で動いているときにはっきりと揺れを感じたこと、丈夫な照明が大きく揺れていたことから、いつもの地震とは違うものを感じました。顧問の先生から突然帰宅を告げられ、親が仕事で迎えに来られなかったので、僕は友人と市内の親戚の家まで歩いて行きました。帰り道で友人の携帯で見た被災地の映像は、今でも忘れられません。 |
そのときしていたこと: この時は、後期試験で新潟大を受験するため、ホテルへ泊まっていました。 部屋へ到着してTVをつけ、「なんでも鑑定団」をみながら一息ついていたところ、 大きくはないが長い揺れがきました。 確か地震速報よりも早く来たと記憶しています。 揺れの感じが、地元の栃木にいた時に中越地震が起きた時に似て感じられ、 これはまたどこかで大地震なんじゃないかと思っていたところ、テレビで地震速報や津波注意報が次々と流され、あぜんとしてしまいました。 地震が起こって2,3分ほどテレビの速報を見ながらボーっとしていたらホテルのフロントから部屋に内線がきて、念のためロビーへ避難してくださいと言われ我に返り、やっと夢でもなんでもなく、大地震が起こったんだと自覚しました。 それまでは、流れる津波の映像などがあまりにも凄すぎて、特撮や何かだと錯覚してたようです。 全海岸に津波警報が出たのなんて初めて見ました。 その後、栃木県真岡市震度6強というテロップを瞬間から冷静さを失ってしまい、 実家や親の携帯に電話やメールを送り続けていたら外が暗くなってしまい、夜からは地元の友達などにもメールや電話をかけ続けましたが一向に連絡が取れず、これは死んだかとまで思いました。 結果的に家族は全員無事で塀が崩れてコップが割れただけですみました。 友達はみな怪我はないのですが、家が半壊した人が何人かいました。 次の日は電車が止まっていたのでもう一泊してから地元に帰りました。 もどってから見た自分の街はなかなか無残で、津波の被害があった地域に比べればなんともないのでしょうが、見慣れた風景だったぶんテレビよりもショックが大きかったです。 店はガラスが粉々で、看板も落ち、家は軒並み瓦と塀がなくなり、道は凸凹でした。 そのせいでうちの街は店が何軒も潰れました。 こんな大変なことがあった時に家におらず、家族のために何も出来なかった自分に悔しかったです。 その後浪人が確定し、横浜へ旅立つのですが、こちらはこちらでなかなかの被害があったらしく、ダイエーは休業中でその隣と向かいのビルが無くなってました。 ただ、人口が多いからか街の回復が早く、すぐに地震の被害などわすれてしまっていました。ですが、まる一年たった頃に、ニュースで地震当時の映像が流れ、その中に横浜駅周辺があって、崩れたビルや砕けたダイエーを見てあらためて地震の怖さを思い出しました。 あのころに、いつもひとけがなくて静かなだけの自分の街と一日中賑やかな横浜の街の根底に漂っていたなんともいえない暗い雰囲気を一生忘れないでしょう。 | そのときしていたこと: 友人とカラオケ |
そのときしていたこと: 自宅で翌日の後期試験のための勉強をしていました。 | そのときしていたこと: 不動産屋で新居を探していた。 |
そのときしていたこと: 高校の期末試験の日程と重なっていたので、午前中に試験を受けた後、自宅の最寄り駅のマクドナルドで2日目の試験に向けて勉強をしていました。 | そのときしていたこと: 高校の剣道場で、新入生歓迎会のダンスの練習中に地震が発生。 校内にいた生徒は、全員校庭へ避難した。 |
そのときしていたこと: 家でテレビをみていた。 | そのときしていたこと: 数学の授業中 |
そのときしていたこと: 高校のグラウンドで部活(野球)をしていた。 揺れは感じなかったため、地震のことはニュースで知った。 | そのときしていたこと: 修学旅行最終日、那覇空港から東京行きの飛行機内にて出発時刻を待っていた |
そのときしていたこと: いつものように午前中のサッカーの練習が終わり帰宅。 シャワーを浴び(おそらくこの間に地震発生) 昼食後テレビをつけると東京が燃えていた。 何かのドッキリかドラマだと思って見ていると現実だと分かった。 その後画面は気仙沼に移るも異常なし、津波予想もいつもより ちょっと高めぐらい。そしてしばらく他の場所を映した後気仙沼に戻ると みるみる波にのまれていった。そして次々と被害情報が入ってきた。 東京の親戚にも連絡がつかない。そこで日課のゲームを開始。今となっては 不謹慎なことだが、西宮は揺れなかったせいか何の躊躇もなかった。 | そのときしていたこと: 塾で受験勉強をしていました。 テレビと携帯のニュースで地震のことを知りましたが、被害の実態がわかったのは2、3日後でした。 |
そのときしていたこと: 後期試験に向けて勉強をしていました。ピアノの調律師が来ていたことを覚えています。 | そのときしていたこと: 自宅でくつろいでいました。 |
そのときしていたこと: 自宅でDVD観賞 | そのときしていたこと: 自動車教習を終え、送迎バスに乗って発車を待っていました。 |
そのときしていたこと: 昼ご飯を食べ終わり、自室で塾の講義に向かう準備をしていた。大きな揺れの中で電気が落ち、棚が倒れるそうになるのを抑えた。1階に降りるとガラスにヒビが入り、古い壁が崩れ、道に出ると信号が全て消えていた。 | そのときしていたこと: ちょうど期末テスト期間中で、家に帰ってきたところでした。机に向かって、次の日のテスト勉強のための参考書を見ながら、その日のテストでのミスに気づき、鬱な気分になっていると、ゆっくりと頭が前後左右とフラフラしてきました。「ついに頭がおかしくなったんだ・・・」ショック過ぎて、ぼーっとしながらリビングへ向かうと、観葉植物が揺れていました。地震なのか!やっと気づいてテレビをつけると、東北地方での被害の映像が目に飛び込みました。あのときの衝撃は、忘れられません・・・ |
そのときしていたこと: サッカーをしていました。 | そのときしていたこと: 学校の球技大会で卓球だったが、とりあえずラリーが終わるまでは続けた。 |
そのときしていたこと: 卒業式の次の日の打ち上げ中 | そのときしていたこと: 宇都宮の高校で英語の授業を受けてました。ウロ覚えですが震度は5強、学校も大きく揺れてすぐに外に避難しました。電車が止まっていたので1時間ほど自転車をこいで帰りましたが、途中の家は塀が崩れたり、瓦が落ちたりしていました。 |
そのときしていたこと: 総合の時間を利用して、クラス全員でお菓子パーティーをしていた。 | そのときしていたこと: 5時間目の日本史の授業中でした。大きく揺れたので一旦は机の下にもぐりましたがやむ気配がなく外に避難するよう指示が出て、中庭に避難しました。その間もずっと小さく揺れ続けていて怖がって泣いているクラスメートもいました。 |
そのときしていたこと: 宇都宮東高校の北校舎の三階で、世界史の授業を受けていた。 激しい揺れで、建物が揺れているのがハッキリと分かった。 テーマパークのアトラクションに乗った時にしか感じなかったような揺れだった。 揺れが収まった後、廊下ではロッカーが大きく動いたり、 ガラスが割れたりしていた。 | そのときしていたこと: 床に直に寝ていたので、ドンッとつきあげられる感じをとても強く感じました。 |
そのときしていたこと: 母と2人でサンマルクでコース料理をたべていました。 | そのときしていたこと: 修学旅行最終日で、帰京するため、航空機のなかにいた。 離陸寸前だった。 揺れなかったため、何が本州で起こっているのかまったく分からなかった。 |
そのときしていたこと: 受験勉強していた。 | そのときしていたこと: 授業を受けていた。 |
そのときしていたこと: 自宅にてシャワーを浴びていた | そのときしていたこと: 高校のグラウンドで部活をしていました。 |
そのときしていたこと: 引っ越しの荷物を運んでいました。 | そのときしていたこと: 部活が終わり、学校から徒歩で帰宅中 |
そのときしていたこと: 日本史の授業を受けてました | そのときしていたこと: 学校帰り、駅の階段を下りていた。 |
そのときしていたこと: 河川敷にて友人とサッカー | そのときしていたこと: 電車が動かなかったため近くの小学校に避難してました。町名まではわかりませんでした。 |
そのときしていたこと: 高校での部活動 | そのときしていたこと: 立川へ遊びに出かける準備。 |
そのときしていたこと: 電車乗車中。こわかった。 | そのときしていたこと: 古い西友の本屋にいました。 西友がミシミシいってきてこのたてもの崩壊するのではないかと思い、急いで西友を降りて外に出てみると道路のコンクリートに地割れが起こっており、とりあえず家に電話をかけようとしたが電話がかからず、しかたないので自転車で家にかえることにした。 家に帰る途中地盤沈下で道路が凸凹で、周りのマンションや民家、電柱が傾きまくり、 液状化現象によって道中が水溜りなだけでなく、まるで噴水のように水がふきだしていた。かえる途中に水と一緒にあふれてきた泥によってタイヤがはまってしまって靴がびちょびちょ。家に帰ったらまだ新築の我が家がかたむいていた。ドアも開かないので裏にまわり窓から家に入ると、歩いている感覚が変だなーと思う、よくよく考えるとやはり床が傾いていた。 手を洗おうと水道をひねるも、水はでず。 トイレの水も流れないので仕方がなく近くの公園で用をたす。 友達の家を覗くと家のなかまで泥があふれてきてしまってとても住める空間ではないので泥かきを手伝ってあげる。 風呂もはいれないので仕方がなくおじいちゃんの家にひなんしました。 テレビをつけると津波の想像もできない映像がうつしだされる。 私はこのような体験を地震で体験しました。 |
そのときしていたこと: 私は学校で授業中だった。最初はゆっくり静かに揺れ、前日にも似たような揺れがあったため余震か何かだと思っていた。しかし揺れは収まることがなく、どんどん強くなり体を揺さぶるほどになった。さすがに危なそうだということでクラス全員机の下へ潜る。その間も揺れは続き皆携帯からワンセグやTwitterで情報を集める。すると東北で震度6か7だという情報が入る。揺れが止み、授業は中止、全員教室で待機となる。当時はあんな大惨事になるとは思わず、近づく合唱コンクールに向けて合唱の練習を開始。その直後茨城を震源とした地震で再び大きく揺れて生徒は再度机の下へ。ワンセグを見ると海に飲まれる街の様子が映し出されていた。その後完全下校命令が出され、電車が止まって帰れない生徒の長い夜が始まったのだった。 | そのときしていたこと: 学校帰りに友達の家でごろごろしていた。 |
そのときしていたこと: ダビスタ1997をプレイ | そのときしていたこと: 高校の図書室で友人と一緒に本を読んでいました。少し揺れているなと思った瞬間、停電し激しい揺れが起きました。その日は学校の先生に車で家まで送っていただき、23時過ぎに帰宅しました。地震発生直後はそんなに大きな地震ではないだろうと勘ぐっていたのですが、翌日以降に放送されたニュースを見て被害の大きさに愕然としたのを今でもよく覚えています。 |
そのときしていたこと: ジアスでパチンコ。 | そのときしていたこと: ルミネ立川店の2階で買い物をしていました。 |
そのときしていたこと: セブンイレブンで雑誌の立ち読み | そのときしていたこと: 自宅にいました。 |
そのときしていたこと: バイトの朝番が終わり昼寝をしていた。 | そのときしていたこと: 明日の東北大学後期試験を受けるために、埼玉県の実家から一人で仙台駅周辺のホテルにいました。地震の発生時には、夕食をコンビニで買ってホテルに戻り、服を部屋着に着替えようとしている最中でした。とても長く激しい揺れに立っていられず、ベッドに座り込んだまま、地震がおさまるのを待っていました。その後、ホテルの一階レストランにゲストが皆避難しました。その時点ではまだそれほど大事ではないと思っていたので、試験の為に単語帳を見ていたりなどしていましたが、ワンセグで空港に津波が押し寄せている映像を見て、やっと大変なことが起こっているんだなと理解しました。明日には帰れるだろうという甘い予想ははずれ、仙台に3日間滞在することになりました。ゲストの中に愛知県で社長をやっている方の一家がいて、部下を愛知県から新潟県と山形県を経由する形で自動車で呼び寄せて帰る時に、親切にも自分も乗せてくださって、新潟駅まで送ってくれました。その後は上越新幹線で埼玉県に帰りました。 |
そのときしていたこと: 期末試験が終わった次の日だったので、自宅のテレビで録画しておいた番組を見ていた。 | そのときしていたこと: 関東の大学見学をするために3月11日の夜行バスで東京に行こうとしていたので、それに備えて自宅で仮眠をとっていた。 |
そのときしていたこと: 前夜から朝までサークルの追いコンで宴会で、そして朝帰りし、家で午後まで一人でベッドの上でシャワーを浴びない寝ていました。地震発生時の時間、やや揺れを感じ、起きましたが、「大した大きさじゃないな」と思い、そのまま二度寝しました(その後、30分後くらいに、起きました)。 | そのときしていたこと: 自分の部屋で寝ていました。 |
そのときしていたこと: 一度めの揺れが来た時点では、自宅の居間で寝ていました。 その揺れがおさまった後、同じ町内の祖父母の宅へ向かい、 そこで二度目以降の揺れを経験しました。祖父は少しパニック気味でしたが 話して落ち着かせました。その後は停電、断水が3日ほど続き、 ガスだけはかろうじて使えたので、近所の人から分けてもらった水や 湧き水を汲みにいって、お湯を作り湯たんぽにいれて暖をとっていました。 夜にコンビニに行きましたが、既に品薄状態でした。街灯もなく真っ暗でした。 | そのときしていたこと: 北砂Arioで買い物をしていた。 |
そのときしていたこと: 2週間後に設置する業務システムについて業者との打ち合わせが終わった瞬間に、長く、ゆっくりした揺れが続いて、震度2とか3かなという話をしました。 | そのときしていたこと: その日は球技大会があり、一通り種目が終わり、クラスで打ち上げをどうするか、など普通の話を部室でしていた。そのとき友達の一人が、つるしてあるジャージがゆれている、と言いはじめ、初めは皆信じていなかったが揺れが感じられるようになり、携帯を持って急いで外に出ると、学校中がパニックになっていた。 |
そのときしていたこと: 学校で授業を受けていました。地震のことは夕方テレビを見るまで全く知りませんでした。 | そのときしていたこと: 中央大学にてサッカーの試合。 |
そのときしていたこと: 学校の体育館にいました。 部活の準備をしていて、大きな揺れがきて体育館にいたみんなで校庭にでたのを 覚えています。校庭にはすでにたくさんの人がいました。 | そのときしていたこと: 自宅にいて大学に入学するための書類を書いていました。 父親も書類不備の確認と印鑑のために会社を休んでいたので地震発生後に大きなパニックはありませんでした。 |
そのときしていたこと: ビル5Fの事務所で仕事中。本棚が揺れ、転倒しそうになったが先に書籍が落下して空の本棚は倒れず。自分は機器類の棚を支えながら外の様子をうかがう。知識と体験上1分過ぎてからの更なる強震は未知の世界でこれまでにない恐怖をかんじた。 | そのときしていたこと: 翌日のこの学校の後期試験に向けての勉強を自宅でしていました |
そのときしていたこと: 授業中 | そのときしていたこと: 東京ディズニーシーにいました。 地震発生時はまさか そんなに多くの被害をもたらすことになる地震だとは思いもしなかったです。 11日はブロードウェイという劇場内に泊まりました。 さすがディズニーとだけあって 食べ物の支給がとても多くて助かりました。 |
そのときしていたこと: 地震が起きた時は自宅にいた。 東京大地震が遂に来たかと思ったら、東北地方の様子をニュースで見て愕然としたのを憶えている。 | そのときしていたこと: 私は部活から帰る途中で、世田谷線という電車に乗っていました。電車は地震速報を受け自動的に停車し、その少しあとに地震がきました。車内はあまり揺れませんでした。なので、外で電線がびゅんびゅん揺れて、車がまるでとびはねるように揺れていても、それほど大きくないだろうと勝手に思っていました。地震直後はこんなにも大きな地震とは思わず恐怖心は沸きませんでしたが、家に帰りTVを見て、東北の状態を知り、一気に怖くなりました。 |
そのときしていたこと: 高校の文化祭のパンフレットに載せる校長先生の言葉をいただくために、 事務室のドアを開けたところ、いきなり地面が大きく揺れはじめた。 | そのときしていたこと: 家で寝ていたら激しい揺れを感じて一瞬起きるが眠気に負けてすぐ寝てしまった。 夕方に起きてニュースを見てことの重大さに気づいた。 |
そのときしていたこと: 自宅で勉強していたところ、急に地震がきた。 最初は少し大きい地震かな、といった程度だったが、あまりにも揺れが大きいためさすがに机の下に頭を隠した。 | そのときしていたこと: 母とお買い物をしていた。 |
そのときしていたこと: 風邪を引いていて自宅で寝ていた。 | そのときしていたこと: 塾で授業を受けていた。 映像授業でパソコンがおいてあったがその1つがゆれで倒れた。 ビルの5階だったので揺れがすごかった。 |
そのときしていたこと: 体育の授業でサッカーをしていた。 | そのときしていたこと: 自宅にいてDVDをみていた、最初は気にしなかったがだんだん揺れが強くなったので近くにあったこたつのなかにはいった。 |
そのときしていたこと: ゲームセンターの3階で、友人とゲームをしていました。地震が起きたのは、ゲーム機に100円と専用のカードを入れて2~3分後でした。 | そのときしていたこと: テレビを見ていた |
そのときしていたこと: 昼食を食べた後の昼寝を30分前ぐらいからしていました。最初は揺れが小さくなていましたが、本が落ちるほどの揺れになったので飛び起きて、階段を下りるのは揺れてて危険でしたが、外に逃げました。 | そのときしていたこと: 自動車教習の学科の授業を受けていた。地震が起きて建物の外へ一時避難したがその後授業は終わりまで続けられた。 |
そのときしていたこと: 姉とショッピング | そのときしていたこと: 高校の授業中だった。消火器など室内のものが激しく揺れていて、恐怖を覚えた。 |
そのときしていたこと: 駅ビルの上の階の本屋にいた。 | そのときしていたこと: 実家で一人でいた。ちょうど出かける用意をしている時だった。 |
そのときしていたこと: 次の日が後期入試の日だったので、テレビを見たり、家でゴロゴロしていた。ニュースで見てとても驚いた。 | そのときしていたこと: 北野駅に停車している電車の中。ちょうど隣のホームに電車が来たときに、電車がホームに入ってくる揺れとは違う縦揺れを感じた。同じ車両にいた人たちも騒ぎ始める。電車が倒れるんじゃないかと思うくらい揺れていたのでホームに出てみたが、看板やら何やらが揺れて落ちるくらいだったので電車の中にいる方が安全だと思い、電車の中に戻る。揺れが長く継続的に続き、駅には「安全確認が出来次第運転を再開します」と係員のアナウンスが響くが、再開する気配はない。ネットも繋がらないので、電車内にいる人達でなんとか得た情報を少しずつ共有した。電車で家に帰るのは時間がかかると思い、バスで家まで帰った。 |
そのときしていたこと: 友達とカラオケ。KARA熱唱中。 | そのときしていたこと: 受験のため南大沢に向かっていました。 |
そのときしていたこと: 家で寝てた。 | そのときしていたこと: 公民の授業を受けてました |
そのときしていたこと: 友人と遊んでいた。 | そのときしていたこと: 本屋で立読み |
そのときしていたこと: 大学受験 | そのときしていたこと: 後期試験を控えていたので、その勉強。 |
そのときしていたこと: 授業日ではなかったが、高校の教室で友達と5人くらいで話していた。 私は中越地震と中越沖地震で大きな揺れを経験している。 でもこの地震はいつもの揺れ方と違って、ゆっくりと長かった。 最初はめまいだと勘違いした。 私がいた場所は震度3くらいだったので大きな問題は起きなかった。 しかし校内放送で「東北で震度6強(震度7?)の地震が発生しました。」という放送が流れ、ただ事じゃないことがそこで初めて分かった。 先生に学校から帰れと言われ学校を出た。 | そのときしていたこと: 軽音学部の校内ライブが終わった直後に地震が起きました。 揺れが強く、機材が台から転落しそうになりました。 電車が止まったのでその夜は学校に泊まり、カンパンを食べて過ごしました。 夜にワンセグで見た被災地の様子は衝撃的で今でも鮮明に覚えています。 |
そのときしていたこと: ちょうど授業が終わって休み時間だった。いつも通り友達とお喋りをしていた。 | そのときしていたこと: テスト期間で、図書館で勉強していました。 |
そのときしていたこと: 高校で数学の授業を受けていました。 | そのときしていたこと: 部活帰りで一人でお手洗いに入っていた。 |
そのときしていたこと: グラウンドで、部活動のサッカーをしていました | そのときしていたこと: 当時、私は高校で模擬試験を受けているさなかでした。試験間の休み時間に、今日本で大きな地震が起きている!との話を先生方から聞きましたが、私のいた京都、またその界隈には大きな影響がみられなかったため私たちは模擬試験を通常通り続けました。 私が地震の規模、可視化された情報を得たのは、なんら問題なく模擬試験を終えて帰宅したあとでした。 テレビで放送された映像ならびに被害をあらわした数字に驚愕したのを今でも鮮明に覚えています。同じ日本に住みながら、温度差といいますか、地方、地震の被害を大きく受けた地域とそうでない地域での心理的な違いに驚いたこともまた強く記憶していますし、今でも問題視すべきことであると考えます。 共有と言うのはおかしな言い回しですが、私たちの国である〝日本〟が被害を受け、その国に住んでいるという自覚、認識をよりもつべきであると強く感じさせられました。 |
そのときしていたこと: 学校の3階で部活に行く準備をしていた。揺れが長く続いたが小さかったので特に気にもとめずグラウンドに出たら校内で放送が流れて、すぐに帰宅するように言われた。帰るときには電気が止まっていたので道路が暗く、信号も消えていた。家についたらロウソクだけの灯りで家の中が照らされていて、前日の残り物の夕飯を食べた。 | そのときしていたこと: 12日の首都大後期試験のための会場の下見で、間違えて日野キャンパスの方に行ってしまったのだが、まだ間違えたことに気づかずキャンパスに入ろうしていた。 |
そのときしていたこと: 学期末テストの返却日で、英語のテストが返ってきてみんな結果に騒いでいました。 わたしは渡邉で最後なのでテストがあと3人で返ってくるって時にいきなり緊急地震速報の音がなり驚きました。 みんな冗談みたいに受け取って一応机の下に入る、みたいな感じでもぐりましたがその後すごい大きな揺れがきてみんな泣きはじめました。5階にいたので学校の中で一番揺れが強く、がくんがくん揺さぶられるようでした。 その後、私を含め多くの子が帰れず学校で一夜過ごしました。 | そのときしていたこと: 後期試験の前日なので、家にいました。ニュースで大きい地震があったときいて、とても驚きました。地震のせいで後期試験がなくなった大学がありました。私は大丈夫だったのですが、試験を受けに行く車の中でラジオを聞いて、胸が痛みました。 |
そのときしていたこと: 学校で全校討論会をしていた。 先生の講評?みたいなときに揺れ始めて、誰かがどんどんやってるんだろうと思ったら本当に地震が起きていてすごいこわかった。 揺れは決して大きくはなかったけど、長かった。 先生がとにかく落ち着くようにいっていたのを覚えている。 | そのときしていたこと: 家のベッドで寝ていました。 |
そのときしていたこと: 学校の体育館にいて集会をしていました。 いきなり大きく揺れ出したので学年全員で大騒ぎになりました。 先生が生徒を落ち着かせようとしていましたが何度も地震がくるのでそのたびに少しパニックになりました。 | そのときしていたこと: 友人たちと雑居ビルの一階でお好み焼きをしていた。 地震が起こる直前に友人の携帯の地震速報がなったが、その数日前に地震速報がなったが地震が起きなかった。ということがあったので地震速報を気にせず昼食を続けたが、地震が来たため近くの市民センターのようなところに逃げ込んだ。 |
そのときしていたこと: 高校の掃除の時間ゴミ捨て | そのときしていたこと: 寝てました。 |
そのときしていたこと: パソコンでインターネットをしていた | そのときしていたこと: カラオケ |
そのときしていたこと: 2階の自分の部屋でベッドで寝ころんでいたら、ゆらゆらと長い揺れを感じた。 | そのときしていたこと: プリクラの落書きしてた |
そのときしていたこと: 図書館で本を読み終わって、駐輪場にとめてあった自分の自動車に乗ろうとした時 友達から件名もない、ただ本文に“じしん”とだけ書かれたメールがとどいた 何のことかわからないで携帯を見つめていると、あの大地震が起こった。 近くにあった橋はあり得ないほどグニャグニャに曲がり、いくつかの信号機は明かり消えていた。 あの光景は忘れられない | そのときしていたこと: 学校で球技大会の準備作業 |
そのときしていたこと: 3泊4日の沖縄修学旅行が終わり、東京に戻ろうと200人で飛行機に乗っていた。飛行機の座席につき、あとは離陸を待つのみといった状況で機内アナウンス。「ただいま本機の目的地である羽田空港で震度5の強い揺れがありました。詳しい状況がわかるまでしばらく機内でお待ちください」。しばらく機内で待っていたのだが状況がよくなるわけもなく、情報もなにも入ってこないままひとまず空港のロビーに移され、そこで待つこと2時間。結局その日は飛行機は動かないようで、昨日まで泊まっていた宿舎に戻り予想もしていなかった4泊目がはじまった。 | そのときしていたこと: 普段より、遅いお昼ご飯を一人、家でテレビを見ながら食べている最中でした。 親は仕事に出ていて、外出しており妹と二人でした。 本当に普段通り、「日常」の一コマを過ごしていました。 それが、いきなりの揺れ。今までに感じた事のない揺れを感じ、直様避難経路の確保、安全の確認、親との連絡を取りました。 そんな中、テレビでは、東北での地震・津波のライブ映像、東京では御台場付近の火災の映像が流れており、ただただ呆然とそれを見ているという感じでした。、 |
そのときしていたこと: 体育館で体育の授業中で、バドミントンをしていました。始めのうちは少し強めの地震がきたな、くらいに思っていましたが、徐々に体育館の天井の鉄骨にはさまっていたボールや羽が落ちてきはじめ、体育館全体が音をたてて揺れるようになり、危険を察した先生の指示で校庭に避難しました。 | そのときしていたこと: 学校で昼寝していた |
そのときしていたこと: 自宅でテレビを見ていました。 | そのときしていたこと: 教習所で応急救護を受けていました。 |
そのときしていたこと: 学校のグラウンドで野球の練習をしていた。 | そのときしていたこと: 学校で授業中 |
そのときしていたこと: 校庭でサッカーをしていた。 | そのときしていたこと: 授業中でした。 そのあとすぐに津波警報が発令され帰宅指示が出ましたが、親の迎えを待つまで塾で待機していたため、テレビがずっとない状況でどんなことが起きているかも夜になるまで分かりませんでした。 |
そのときしていたこと: 後期受験の前日で、ホテルにとまりにきていた。 | そのときしていたこと: 学校が休みで、友人宅で映画を見ていた。 |
そのときしていたこと: 自分は震災直前に経堂のラーメン屋で兄と一緒にいました。 そして自宅(世田谷区船橋三丁目)に戻った五分後に地震はおきました。 あと少しあと少し遅かったら、例えば近くの本屋によっていたら、おそらく一階にいた祖母は大変心細かったと思います。 身内は皆無事で本当によかったです。 ただ自分の机はめちゃくちゃになっていました。 | そのときしていたこと: テスト終わりで部活の真っ最中でした。弓道部だったのですがまわりの弓立てが激しく揺れて押さえるのが大変でした。 |
そのときしていたこと: カラオケにいました。 | そのときしていたこと: 銀行で入学金振り込んでました。 |
そのときしていたこと: 自宅で過ごしていた。すぐにテレビをつけて情報を得た。 | そのときしていたこと: 首都大学東京の後期受験の下見にきてました。車内で遊園地のアトラクションみたいな派手な揺れの後、2時間ほど車内から出られませんでした。twitterをみたら、元同じ高校で前期で受かっていた友人がどうやら南大沢にいたみたいで「奇遇だね…ww」。その後、電車を降り、線路上を歩いて南大沢駅に行きました。地理が全く分からない中、すし詰めのバスで堀之内まで行き、交通手段がなくなった人で集まって、多摩センターのホテルまで行きました。ホテルはロビーから人の海状態。部屋に入ってテレビをつけて、明日の受験情報のテロップををひたすら見ていました。のちに、twitterで友人が試験時間が遅れることを教えてくれました。翌日にはホテルのロビーにも受験情報の掲示が出されました。 |
そのときしていたこと: 大学の後期入試のため、長野新幹線に乗って東京に向かっていた。上野駅と東京駅の間のトンネル(多分上野第一トンネル)で新幹線が止まって、立ち往生した。トンネルのどの辺りかはわからない。住所も、台東区か千代田区か不明。 | そのときしていたこと: 高校の春補講が終わり、友人数名と教室に残り楽しく会話。 |
そのときしていたこと: 二子玉川駅にいた | そのときしていたこと: 仕事中だった。揺れたなっと思い、Twitterで状況をすぐ確認した。 関東に住んでいる友人や、兄弟に連絡したが連絡が取れず、mixiやTwitterで情報をやり取りした。 |
そのときしていたこと: 今更閉店してしまった仙台市のイタリア料理のレストランの「RISTORANTE TAMURA」でバイトをしていました。 | そのときしていたこと: つくばエクスプレスの万博記念公園駅に電車が着いた瞬間の揺れ始めました。 |
そのときしていたこと: 仕事中で車の中で待機中、同僚と電話中でした。 | そのときしていたこと: 新幹線の車中で仕事をしていました。 緊急停止をして、30分遅れで新大阪へ着きました。 (名古屋を通過する前だったら、もっと遅くなっていたようです) |
そのときしていたこと: アメリカ・テキサス州は10日(木)の夜でした。ネット経由で日本のラジオを聴いていたら放送が突然中止され特別番組に。すぐにテレビのCNNを付けると生中継で放送していました。その後2−3日は24時間ネット経由で日本のニュースをつけっぱなしにしていました。日本にいる家族や友人が心配で寝られなかったのを覚えています。 | そのときしていたこと: 会社は青森県の十和田市ですが、当日滝沢で住宅建材の展示会があり、盛岡市にいました。展示会場を14時00分ごろでて、盛岡市内(JR勤務)にいる息子と食事の予定だったので盛岡市内に向かい走行し、途中の駐車帯で息子に、電話しようとした時に地震となりました。すごい揺れで赤松の大木が倒れそうでした。地震の最中に海岸線のほうから爆発音のような音が数回聞こえたのを記憶しています。すぐに、盛岡にいる次男と福島の大学にいた長男および自宅に メールし全員の安否を確認しました。十和田までの帰りは、信号機が止まっていて不安な走行でした。19時30分ごろようやく帰宅。 |
そのときしていたこと: 出張先での業務中でした。 地震発生を知ることもなく、社に業務の報告のための電話を入れた時に、同僚より地震発生を聞かされました。 未経験の揺れであったこと、これから一旦ビル外に避難すること、などを聞き、埼玉の母の無事を確認するための電話をしました(その時点ではまだ繋がりました)。 客先の社屋を出る際に、テレビニュースが映し出されており、津波が押し寄せる様子が中継されており、リアルタイムで発生している事象に対する恐怖感を感じながら、帰途につきました。 | そのときしていたこと: 勤務中 |
そのときしていたこと: 会議で神戸の会社に出張し、会議中に東京事務所より、震度6の地震発生と メールが届いた。 会議メンバー全員で、直ぐ会社のテレビを見たら、ふる里の宮城県の大津波を 放映していて、とても心配であった。 メンバーは、1995年の「阪神・淡路大震災」経験者であり、当時の体験を思い出 し、心底心配していた。 | そのときしていたこと: 通常の検診業務をしていた。患者も10名程度在院していた。 |
そのときしていたこと: 研修中 | そのときしていたこと: 会社事務所で仕事中、兄弟からの電話で地震のことを知り、TVを点けたら津波が田畑家屋を飲み込み、津波で動きながら家屋が炎上しているシーン等が放映されていて、言葉を発することが出来なかった。 |
そのときしていたこと: 仕事中でした。 | そのときしていたこと: 自宅に居ました |
そのときしていたこと: 出張先で15時からの業務説明会の準備をしていた。 震災後、津波状況等のTV中継を見て驚いていた。 なお、説明会は予定通り実施した。 | そのときしていたこと: ターゲットタンパク質シンポジウムに参加してました。地震で会場はパニックで,皆がいそいで出口へむかった。外で待機中も何度も余震が続き,そのシンポジウムは中止に。全国から集まった研究者の多くが,その日帰宅することができなかった。 |
そのときしていたこと: ビル4階の会社で仕事中。 初めはPCのディスプレイが倒れないよう手で押さえていましたが 立っていられないほどの揺れになり、皆デスクの下に入りました。 デスクの下で座っていても、左右に振り回されるほどの揺れでした。 意外にも、社内で倒れたりした壊れたりした物はありませんでした。 揺れがいったん収まった後、非常階段から外へ出、 余震で揺れる電柱やTVの中継を携帯で見ながら、 皆で集まってただ立っているばかりでした。 パニックにはならず、普通に話などをしていましたが、 この後どうすればいいのか分からないという感じでした。 | そのときしていたこと: 仕事中。大きな揺れで思わずPCの電源を落としました。 |
そのときしていたこと: 部屋の片付け等 | そのときしていたこと: 自転車で農道を走行中、水路の水が溢れ出て来ました。 |
そのときしていたこと: 会社で新型のテレビ会議装置の扱い方の講習に出ていました。最初は緩い揺れがあり、今までに無い長い揺れを感じ、変だと思い始めた頃に大きく揺れ始め、会議室の机とかテレビ会議の機械が動き出したのでみんなで支えました。テレビの画像はしっかりしており、30秒ぐらい後でしょうか、関西の事業所でも揺れを感じたようです。あまりにもひどい揺れなので講習は中止、全員執務室に引き上げました。机上に積んであった書類が崩れて床に落ちていたほかは、大きな被害はありませんでした。 | そのときしていたこと: 職場で働いてました。 |
そのときしていたこと: 同僚と休憩中だった | そのときしていたこと: 仕事(ソフトウェアー開発)をしていました。 |
そのときしていたこと: 栃木県の県立高校の合格発表の当日で、2つの高校の教科書販売のまっ最中でした。店内はごった返していましたが、皆さん非常に冷静に店の外に非難されました。 | そのときしていたこと: 栃木県の県立高校の合格発表の当日で、2つの高校の教科書販売のまっ最中でした。店内はごった返していましたが、皆さん非常に冷静に店の外に非難されました。 |
そのときしていたこと: 市議会を傍聴する目的で路上を歩行中でした。路面が波打ち立っていられないくらいでした。隣にいたオバさんが「怖い、怖い」と言って、腕にしがみついてきました。倒木等の影響のない路上の場所を選び連れて行きました。市役所に着くと、ぞくぞくと人々が建物から外に出てきて広場で一塊となっていました。来訪者、市職員、市議会議員が一団となっている姿は、いままで見たことのない光景でした。議会は即中止。エレベータに閉じこめられた人もいたようでした。当所は震度5でした。 数日後、トイレットペーパーの買い溜めミニパニックが起こり、数日間品不足が続きました。 amuri 関口 | そのときしていたこと: 自席で仕事中。揺れが少しづつ大きくなり、キャビネット前の席にいた職員も その席から退避する位に揺れ、途轍もなく長い揺れだった。 停電にならなかったので、テレビではどこかの港に津波が押寄せる定点カメラ映像、 マンション火災のライブ映像をながしていた。 |
そのときしていたこと: たまたま休みで家でTVを見てました。 | そのときしていたこと: 社内会議中に釜山市の自宅にる妻からの電話で知らされました。 その電話は「日本が沈没している」との内容でしたが、「映画じゃあるまいし」と思いそのまま会議を続けていました。 会議終了にパソコンを立ち上げると、ネット上に流れる災害の模様に驚愕しました。そのまま、釜山の自宅へ帰宅して、海外向けNHK放送と夜を明かしましたが、 6年間住んでいた仙台の周辺の町の壊滅的状況に涙した一夜でした。 |
そのときしていたこと: 会社の給湯室(8階)で洗い物をしていたので、最初は自分が揺れているのだと思った。何か変だと思って動きを止めたらゆっくりとした大きな横揺れでよろけた。あわてて廊下に出るとあらゆるドアがぶつかりあって大きな音をたてており、防火扉が揺れのせいですべて閉まってしまい、閉めたほうがいいのか、抑えたほうが良いのかわからないまま、逃げ道を確保するためにとりあえず抑えた。 | そのときしていたこと: いつも15時にお昼ご飯を取っているのでその時いつも通り何食べようかな~と考えていたら( T n T )。。。。結局この日に夜の19時までに何も食べなかった( > n < ) |
そのときしていたこと: マンションに住むお客様のところへ着いたところでした。車から降りようとすると・・・何か地響きとともに大きな揺れ。そして、突然吹きはじめた強い風。 | そのときしていたこと: 会社の給湯室(8F)で洗い物をしていました。最初は自分が揺れているのだと思いましたが、ふと動きを止めると、大きなゆっくりとした横揺れを感じ、よろけました。あわてて廊下に出るとフロア中のドアがぶつかりあって大きな音をたてており、揺れで防火扉が閉まってきました。閉まったほうが良いのか、抑えたほうがよいのかわからないままに、逃げ道確保のために抑えました。その日はオフィスに泊まりました。余震が何度もありましたが、オフィスが一番安全と常々思っておりましたので、その点は安心でした。 |
そのときしていたこと: 歌舞伎座前のビルの一室で仕事をしていました。仙台に本社があるのですが、たまたま地震直前に本社と電話でやり取りしていた社員が「地震!大きいのが来るぞ」と叫び、その数秒後に大きな揺れが来ました。 | そのときしていたこと: トラブル対応が一段落し、15 階のトイレで用を足していました。他には誰もいなかったので、死んでしまったらなかなか見つけてもらえないのでは、と不安になりました。 |
そのときしていたこと: 美容室で髪を切っていました。地震発生時はシャンプー中で、棚のものが落ち始めたので、シャンプーの泡が付いたまま店外に避難しました。店外ではアスファルト路面に亀裂が入り互いにすれ違っていました。一度揺れが収まった時に一人店内に戻り急いでシャンプーの泡を洗い流しました。近くの森からは花粉が舞い上がり、黄色い煙が湧き上がっていました。 | そのときしていたこと: 会社の中にいた 揺れと同時に携帯の緊急地震速報が鳴り、なかなか揺れが収まらなかったので駐車場に避難した |
そのときしていたこと: 昼休み中で、昼食を食べ終えネットサーフィンをしていました。 | そのときしていたこと: 大学にて実験をしていました。 |
そのときしていたこと: 内視鏡検査 | そのときしていたこと: 自宅で母と遅い昼ご飯を食べ終えて席を立ち、母は洗面所へ、私は食器をまとめて台所に運ぶ途中に揺れが始まりました。 |
そのときしていたこと: 自宅にてPCで仕事中 | そのときしていたこと: 自宅で仕事していました |
そのときしていたこと: 仕事をしてました。 | そのときしていたこと: すごい揺れで立っていられませんでした。 |
そのときしていたこと: 仕事中でした。昼休みも終わり、午後の準備をして一息ついていた時でした。 長い時間の揺れで地震が来てから数分後に停電になったように感じました。 その後、断続的に長い揺れが来ている中で、仕事を切り上げて帰宅。 その途中、カーラジオで大きな範囲での地震だとしりましたが、その時は情報も錯綜していましたね。 | そのときしていたこと: ビル5Fの事務所で一人事務作業中。 事務機器類、書類棚、事務机など転倒、大きく移動。 少し治まったときにビルの前の駐車場へ緊急避難しました。 |
そのときしていたこと: 2Fの事務所内に居り、強い揺れを感じすぐに外に出ました。継続的に揺れていたように思えます。電柱は激しく揺れ、アスファルトの道路が波打っているように見えました。 | そのときしていたこと: 19階で会議中 ビルの揺れで会議が何度も中断 |
そのときしていたこと: 地下鉄に乗る寸前でした。 | そのときしていたこと: 20階で打ち合わせ |
そのときしていたこと: 9階建てビルの7階で仕事をしていました。 | そのときしていたこと: 金沢八景の顧客企業への訪問のため下り京急電車に乗っていた。ちょうど上大岡駅に停車してドアが開いていたところを揺れが襲い、車両が前後左右に揺さぶられてがちゃがちゃと音を立てた。そのまま運転見合わせとなったため顧客企業へは電話して訪問をキャンセルし、駅前のヤマダ電機店頭のテレビでニュース(含津波映像)を見たりしながら2~3時間ほど運転再開を待ったものの、結局自宅(横浜市神奈川区)まで10kmほど歩いて帰った。 |
そのときしていたこと: 富山県建築設計監理協同組合の技術研修会 木材利用促進講演会・組合員事務所の木造建築作品発表 参加者 行政、組合員事務所ほか約80名 | そのときしていたこと: 遅番での出勤のためバスを待っていた。 自宅のパソコンからの緊急地震速報メールと、東京の友人からの「やばい!大きい地震きた!」のメールを立て続けに受信した直後に、小さな揺れが大きなものになった。 10秒経たずにあたりは停電。 あまりにの揺れに転びそうになるおばちゃんたちに「しゃがめしゃがめ」と声をかけた。 学生さんが看板にしがみついてたのと、2回目の大きな揺れがくる直前から、急激に空が暗くなり吹雪になったのが印象に残っている。 |
そのときしていたこと: 展示会の視察中 | そのときしていたこと: 仕事でロンドン到着した次の朝にネットのニュースで数十分前に地震が起こった事を知り驚いた。帰国できないかもしれないと本気で思った。 |
そのときしていたこと: 家族は全て外出中。独り自宅の食卓に。揺れがさらに強くなったとき「関東大震災の再来!」と思った。手元の携帯ラジオをつけ、デジカメで揺れを撮った。背後でテレビの倒れる音がした。 | そのときしていたこと: 仕事中。 |
そのときしていたこと: 韓国人の知り合いのお店で鍋をたべていたところ、韓国人の知人に電話がかかってきて、地震の事実を知った。 | そのときしていたこと: 仕事中でしたので、事務所でパソコンを打っていました。 |
そのときしていたこと: 15:00からの会議に出席するため、会議室に入ろうとした時でした。 揺れがひどく長く続き、立ってられない状況でした。長く、激しく揺れ 船酔いのように気分が悪くなりました。会議が始まっても、余震が 繰り返し来て、会議どころではありませんでした。 | そのときしていたこと: 首都大に合格が決まったので家で上京する準備をしていました。 |
そのときしていたこと: 実験作業 | そのときしていたこと: 孫の中学校の卒業式に参加のため、仙台から白河市に来ていた。卒業式をを終えて、昼食後のくつろぎをしていた。 |
そのときしていたこと: 家事をしていてトイレに避難した | そのときしていたこと: 仕事中 |
そのときしていたこと: 授業中 | そのときしていたこと: 自宅に居ました。 |
そのときしていたこと: 家電量販店にて買い物をしていました。 ゆっくり揺れ始め店内のテレビでかなり大きな地震であることを知り急いで自宅に戻りました。 | そのときしていたこと: オフィスでデスクワークの最中。 同僚たちとデスクの下に潜り込んで、 ただただ揺れが収まるのを待っていました。 |
そのときしていたこと: 徹夜作業していました | そのときしていたこと: 在宅勤務者。仕事がひと段落したので、責任者の確認待ちをしていました。テレビをつけたまま、ネット・サーフィン。飼い犬2匹は、私の足元で眠っていました。 |
そのときしていたこと: 午前中の飯田橋での打ち合わせを終えオフィスに戻って、40分くらい経ったころでした。 一服しようと自動販売機で缶コーヒーを買い、取り上げようと片膝をついた瞬間に、グラッと。 | そのときしていたこと: 工場管理事務所で執務中。 そこは出張先で、地震発生後帰宅命令が下る余震の続く中 帰る術もなく歩いて宿泊先のホテルまで。 ホテルも営業できる状態ではなく避難所としてロビーは開放されていた。 翌日、東京の自宅にタクシーと電車を使って何とか帰宅。 |
そのときしていたこと: 仕事 | そのときしていたこと: 会議中でした… |
そのときしていたこと: たまたま休みをとっており自宅にいました、その後の交通機関の混乱を見ると、いまさらながら帰宅難民にならないでよかったと思います。 | そのときしていたこと: 出版社の人と会議室で打ち合わせ |
そのときしていたこと: 東北道上り線、須賀川インター手前の高速道路上にいました。道路がなみうち、周囲の家の瓦ががらがら落ちていく光景を見ていました。 | そのときしていたこと: 3月6日にスキーで転倒し右股関節を脱臼骨折し入院中でした。歩行困難な状態でベットに横になってる状態でした。 |
そのときしていたこと: ペットの病院の検診が終わりタクシーに乗り込んだ 時地震がきました | そのときしていたこと: 仕事中でした。 |
そのときしていたこと: パソコンショップの駐車場で時間調整で車の中でツイッターをしていら、 突然関東方面の友達が地震のツイートが続々あり かなりゆれたとの情報、 東京渋谷のレンタルビデオショップのメディアが床に散乱している写真をアップしたので、パソコンショップ内のインターネットを借りて、ニュース系の ページで震源地と大きさを調査開始した。 実際 地震情報がネット上で流れ出したのは、10分以上たってからでした。 意外と遅いなと感じた、一方 ツイッターの即時性の高さを認識した。 その後用事でその場をはなれ、 詳細を知ったのは、家に帰ってから 夜でテレビを見たときでした。 | そのときしていたこと: 事務所の一階でデスクワーク中だった。最初の揺れで驚き起ち上がったが収まったので仕事に戻った。しかし、再度揺れ始めその大きさと時間の長さでみんなに声を掛けて外へと避難した。 |
そのときしていたこと: ペットの病院の検診が終わりタクシーに乗り込んだ 時地震がきました | そのときしていたこと: 宮崎に帰る為に羽田空港に向かっている途中のバスでした。 |
そのときしていたこと: テレビを見ていた。突然、緊急放送に切り替わって、びっくりした。 | そのときしていたこと: 地震の際(PM2:46)は、鹿島区の勤務先で仕事をしていました。地震発生時に建物は大きく、何度揺れ机の引き出しは飛び出し、壁際のキャビネットが倒れない様に抑えていました。 自宅に帰る為、海岸線沿いの道路を走行中に大津波警報が発令されたのを確認し、沖の方を見ましたが、その時は何も感じませんでした。家に着いて(PM3:40)小名浜校の津波のニュースが放映されているのを視ていたところ、海の方角で白い水煙と黒い水煙が上がっているのを見て避難しようとしていたところ、子供が、近くの東北電力原町火力発電所から伸びている送電線の鉄塔が倒れて曲がっているのを見て、すぐに避難しました。 |
そのときしていたこと: 新たに購入する自社ビルを初めて見に行くとき、秋葉原駅を降りて御徒町方面に向かって歩いていました。購入候補のビルが見えてきて、あのビルかなどと話しているときに急激な揺れに見舞われ、はじめは何が起きているか理解できませんでした。 やがて周りの通行人も地震だと騒ぎ出し、私もようやく地震が起きたことに気づきました。 一緒に行った女性は道にしゃがみこみ、建物の近くは危ないので、引っ張って車道の真ん中に連れて行きました。周辺のオフィスビルからは人が出てきて、通りは人でいっぱいでした。振り返ると富士ソフトさんのビルが大きくしなって揺れていました。 その後、ビルの屋上に上り、何度かの余震を受けながら、スカイツリー方面を見ていました。スカイツリーも余震にあわせてゆれていましたが、屹立していたのが印象的でした。 | そのときしていたこと: 会社の全体会議に出席するために、丁度会社に着いたところだった。 |
そのときしていたこと: 秋葉原駅近くのオフィス10Fで執務中。長い揺れの始まりに気づいたときには、向かいのビルの避雷針がものすごい勢いで揺れていた。 エレベーターが止まり、ビルから出るなとアナウンスが流れた。 私はワンセグをつけることも思いつかず、机の下にもぐりこんでいた。気象庁のHPはまったくつながらなかった。北海道の実家に電話したら、揺れている最中はすぐに携帯同士でもつながった。そのあとはつながらないことが増えた。 | そのときしていたこと: デスクワーク |
そのときしていたこと: 仕事中で15時から始まる会議の準備をしていました | そのときしていたこと: NHKの国会中継を見ながら、締切間近な確定申告の書類を制作していました。 |
そのときしていたこと: 学校で日赤の救急救命の講習中でした。 一斉に携帯のエリアメールが鳴り響き、地震が発生。実技室の壁が崩れ空が見えた。 公邸に避難した後、隣の老人ホームから救援の要請、約100人の老人を救出した後、ワンセグで津波の情報を聞いた。 学校からは300M先まで津波が押し寄せ、アパートは半壊状態、車の中で一晩過ごしました。 | そのときしていたこと: 女性社員に配るホワイトデーのマカロンを買って車で会社にもどる途中でした。助手席のマカロンと車のTVから流れてくる映像。どちらも現実、本当に辛かったです。 |
そのときしていたこと: 丸の内ビルへ行こうとしていた | そのときしていたこと: 東京行き電車に乗車中。 甲府駅発車直後に大きな揺れ。 約二時間車内に閉じ込められた。 |
そのときしていたこと: 川崎大師自動車祈祷殿へ納品に伺っていたときに大きなゆれとともに、突然照明が消え、様子を見ながらお堂の外へ出ると、10数階建てのマンションが大きく揺れていた | そのときしていたこと: 仕事。経験したことのない地震でしたが、家族の無事を確認した後夕方自宅に戻りテレビで被害映像をみるまで、その夜の宴会に行くつもりでした。自分の解釈と現実との乖離に恥じる思いでした。 |
そのときしていたこと: 福岡から3泊の予定で出張中、午前中から某会社6Fで会議をして、11日当日は早めに終了したので、急いで帰福しようと6Fからエレベーターに乗ったら途中で、ゴトゴトとエレベーターが揺れだし、エレベーターの照明も点滅しだしました。なんとか1Fに着いて、ビルの外に出たらまわりの建物が音を立てて揺れていました。持っていたキャスター付きのバックが左右に1Mほど揺られて・・・その時間が長く感じたのを今でも覚えています。 | そのときしていたこと: 1歳半の息子のおむつを交換していました。 下を向いていたので最初はめまいかと勘違いしましたが、収まらない揺れにただごとではないとすぐTVを付けました。 揺れが収まるまで2分ほどだったと思います。高校で地学を学んでいたので、これだけの揺れが続く地震は明らかな巨大地震であると確信し、TVニュースの速報が出る前に夫・義母・母に『自分のいる場所と今は無事である』という内容のメールを出しました。 延々と続く緊急地震速報が恐ろしかったです。 |
そのときしていたこと: 会議室で会議中でした。 会議机の下に隠れました。 | そのときしていたこと: デスクの前に座って、何気なくパソコンのネットニュースを見たら、東京で地震によるビル火災の映像が目に飛び込んで来ました。 その時はまだ津波の映像はなくて、いったい関東で何が起こったのか想像もできてませんでした。 大阪でも多少揺れてビルなどに被害が出たようですが、私の住んでる所では、私は座ってたにもかかわらず、何の揺れも感じなかったのは不思議 です。 |
そのときしていたこと: 地震発生時はバンコクで研修中。 その後、買い物に行った店で、インド人に”日本が地震で大変な事になっているぞ”と青ざめた顔で教えてくれる。その時は”日本は良く地震があるからねぇ”と言った物の、そのインド人の顔は全く青ざめたまま。ホテルの部屋について直ぐにNHKの国際放送を見て、事の重大さを知る。 | そのときしていたこと: 遅い昼食後の休憩中、仲間と談笑していた。 |
そのときしていたこと: 地すべり調査をしていました。衛星電話で地震のことを知りました。 | そのときしていたこと: 企業研修が進行中 |
そのときしていたこと: パソコンに向かって仕事中。揺れが大きくなってきたので机の下へ。その机が倒れないように、机の足を押さえていた。机の引き出しがずりずりと開いていった。 | そのときしていたこと: 家内から、携帯電話にパートタイムの仕事が終わったという連絡を貰って切った後にすぐに揺れました。揺れている最中はテレビなど落ちそうな物を押さえていました。揺れが終わった後では家内の携帯電話には通話できませんでした。 揺れが収まってから家内から携帯にメールを貰ってやり取りを行い、家内は裏道を通って家まで帰って来ました。 |
そのときしていたこと: 防災訓練終了直後で、まさかこのような地震に遭遇するとは思いませんでした。 | そのときしていたこと: 会社にいました。取引先の方との打ち合わせが終わり席について仕事に取りかかろうとしていたときに揺れ始めました。エレベーターが止まり、他部署への往復に階段を何往復もするのに難儀しました。 |
そのときしていたこと: JR赤羽駅ホームで新宿方面の電車の到着を待っていた。 | そのときしていたこと: コンビニで買い物中でした。 「はじめは、くらくらするな、めまいかな」と 思っていたのですが、 店内のポップが揺れているのを見て自身だと認識。 ゆっくり、ゆらり、ゆらりとゆれていたのを覚えています。 その後車に乗り込みカーラジオをつけると 「東北地方で大規模な地震が発生した模様」とアナウンスを聞き 巨大地震だったことをここで初めて知りました。 |
そのときしていたこと: 26階の職場で机に向かって仕事中だった。 立ち並ぶ高層ビルが大きく揺れるのに歓声を上げ、お台場から立ち上る煙を数人で会議室より見物し、めまいのように揺れる中を歩いたりしていた。 今にして思えば「集団同調性バイアス」「正常性バイアス」に縛られていたのだろうと思う。 | そのときしていたこと: 職場で協力業者さんと打ち合わせ中でした |
そのときしていたこと: 数日前よりインフルエンザとなり,会社を休み自宅で2段ベッドの上の段に寝ていた. 苦しい中,ぼーっとしているといきなり地震が来た.揺れはどんどん強まって,「これはヤバい」と直感し,慌てて外へ. 熱のせいか揺れのせいか,まっすぐに歩けないまま外へ出ると,電信柱が冗談のように右左に揺れていた. 「電柱ってあんなに揺れるんだ」と人ごとのように感じたが,次の瞬間少々離れたところにある幼稚園にいるはずの子供と,迎えに行った妻のことがとても心配になり,病気のことを忘れ自転車にまたがり幼稚園へ突進した. この地震が未曾有の災害を引き起こしたことを知ったのは,その数時間後に観たニュースからだった. | そのときしていたこと: Sleeping |
そのときしていたこと: 仕事 | そのときしていたこと: Just sleeping. I was informed of the news of earthquake by French media. |
そのときしていたこと: 会社で通常に業務をしていました。 17階にオフィスがあったため、発生当時は立っていることも出来ないほどの 揺れでした。 | そのときしていたこと: 東京から石巻に帰る途中で、仙台で新幹線を降り、石巻行きの電車まで時間があったので仙台駅の外をうろうろしていた時に地震が発生しました。 |
そのときしていたこと: 幼稚園の年長だった娘と夕食の買い物。もうすぐ買い物が終わり、というときに大きな揺れがあり、ペットボトルや酒瓶などが落ちて割れたり、お弁当コーナーのお弁当が飛ぶように落ちていました。娘が泣き出し、しゃがんで上から体を守るのに精一杯でした。近くにいた方が一緒に娘をガードして下さり、とてもありがたかったです。結局システムがダウンしたようで買い物は出来ず、外に出ましたが、まだ余震が続いていました。余震が終ると急いで家に。ご近所では壁紙等に被害のあったかもいらっしゃいましたが、もともと耐震設計の我が家はキャンドルホルダーが一つ壊れ、本が本棚から落ちていた位の被害ですみました。急いで床にタオルなどを引き、割れ物を棚から下ろしたのを覚えています。 | そのときしていたこと: 事務仕事 |
そのときしていたこと: 熊本県庁地下大会議室で、認知症介護の研修を受講中だった。 1日缶詰の研修で、午後3時過ぎ?に県庁職員から知らされるまで、何が起こったか全く知らなかった。 夕方、帰宅途中の車載TVで、事の重大さを思い知らされた。 | そのときしていたこと: 灯油を購入後、洗剤を買おうとして、店の中で探していました。最初は、揺れが小さく段々大きくなって、棚の物が落ち始め、天井の蛍光灯が割れて落ち始めたので、店から退避。帰りは、停電で信号機が全て消えて、車で帰ったが、時間が掛かった。先に灯油を買っておいて助かった。 |
そのときしていたこと: 会社にいたのですが、地震がおさまるまでは怖くて身動きが取れませんでした。 停電してしまい、地震の規模など何もわからないまま時間だけが過ぎました。 | そのときしていたこと: 仕事中 |
そのときしていたこと: 研究室で研究課題について打ち合せをしていました。ゆっくりとした大きな揺れが長く続き、とてつもなく大きな地震が、名古屋からやや離れたところで起きたと感じました。本棚などが音を立てて振動し、掛け時計が振り子のように揺れていました。立ち上がったものの、すぐに机に手をついてしゃがみ込みました。揺れが収まった後、すぐにインターネットで震源および震度について検索をしました。その時はまだ津波のことや原発のことなどには気がまわっておりませんでした。 | そのときしていたこと: 仕事場でちょうど昼休憩を終えた頃。 とんでもない揺れに会社の機材や映像ライブラリー棚が ひっくり返った… 関西人ですが、阪神大震災を思い出しました。 |
そのときしていたこと: 川口駅の付近で急停車した上野行の電車内にいました。駅前のビルが振り子のように揺れるのを見ていました。車内放送で「東北地方で大きな地震が」と言ってましたが、現実感がなく、ぼんやりしていました。数時間後、電車から降ろされ、線路を歩いて、川口駅から出され、とぼとぼ都内まで歩いて帰りました。 | そのときしていたこと: グアムにいました。ホテルではアメリカCNN、韓国放送、NHKと3ヶ国のニュースを見ることが出来ました。CNNではいち早く福島原発の建物が膨張していることを指摘して爆発を警戒していました。しかし日本のニュースは「安全」という雰囲気だったので危機に関する温度差に驚きました。ホテルからはグアムにも津波が到着するので海岸には近づかないよう各部屋に手紙が配られました。他の宿泊客と念のため海から少し離れたレストランまで避難していました。グアム在住の人々も津波を心配して帰宅ラッシュ。道は大渋滞でした。 |
そのときしていたこと: PC作業中でした、強い揺れが続きました。あと少し揺れが強くなったら、建物が倒壊する様に感じました。 | そのときしていたこと: 会社で会議中 |
そのときしていたこと: 職場である大学図書館で事務作業をしていました。揺れが起こったので、利用者に棚から離れるよう注意しながら閲覧室内を走りましたが、私の後を追うかのように書架の本が雪崩のように落ちてきました。校舎の外では液状化現象であちこちが水浸しになり、地割れも起きていました。 | そのときしていたこと: 仕事をしていました。 |
そのときしていたこと: 仕事中でした。ゆっくりとした横揺れが長く続き、これはどこかで大きな地震が起きたんだと思いました。ネットのニュースサイトにアクセスすると、東北地方で地震が起きたと書かれていましたが、しかし、まだ想像を絶するような被害が出ているとは言っていませんでした。その後、太平洋沿岸一帯に津波が襲ってきたことが分かり、ワンセグテレビをつけると、どこかの港を津波が襲っているシーンが目の前に繰り広げられ、これはとんでもない事態だと認識しました。そのときはまだ原発事故の報道はなかったと思います、どちらかというと千葉のコンビナートの火災の方が大きく採り上げられていました。 | そのときしていたこと: 青山学院大前の青山通りを北へ車を運転していた。揺れる高層ビルから避難者が外へ出てきてはいたが皆上を見上げていた。多くの人は職場ごとに出てきたビルの真下にかたまっていた。ヘルメットを被った人たちは落下物を避けて中央分離帯まで避難していた。 |
そのときしていたこと: 三味線のレッスンをうけるために学校の11階で待っていました。 | そのときしていたこと: コナの町の海岸から水平線に沈む夕日を見ていた。(ハワイ島一周ツアーの途中) |
そのときしていたこと: 60センチの水槽の前にいて、慌てて娘と押さえたが、半分近くの水を頭からかぶった、他には何も出来なかった。 | そのときしていたこと: 会社で事務作業をしていました。突然横揺れがして、かなり長い時間大きな振幅で揺れており、震源地が何処かが非常に気になり、ネットで調べました。 |
そのときしていたこと: パソコンで在京の友人宛メールを送信中 | そのときしていたこと: 国際展示場で展示会の見学中、地震を知った。最初は東京に大きな地震が発生した。と言う情報だった。知人にメールしたら宮城県だと言われた。 |
そのときしていたこと: 千葉から山梨の母を訪ねて、その時は近くの親戚でお茶を 飲みながらおしゃべりしていました。 15時半発の高速バスで帰宅予定で、そろそろ腰を上げないと、 と思っていた矢先でした。 かなりの揺れに感じましたが、神棚から何か落ちたな、 程度で震度4位だったようです。 直後に停電になり、家電話もPCも駄目、TVも見られませんでした。 人々が外に出てきていました。 交差点にはすぐに警官が来て、手信号していました。 知人の携帯の情報を聞いたり、防災ラジオを聞いたりして、 かなりの大事だと思い、高速バスを使っての帰宅を止め、 その日は親戚に泊めてもらいました。 夜、停電中の市内は真っ暗で、星がきれいでした。 翌12日朝の5時半、電気が回復したのですぐにTVを見て、 余りの映像に、目が釘付けになりました。 14時間以上にもなった長時間の停電とろうそく生活は 初めてのことでした。 12日午後、高速バスと電車を使い山梨から千葉へ、 すんなりいつも通りの所要時間で帰宅できました。 誰もいなかった家は、TVやビデオが落下(壊れず)、 ピアノは数センチ動き、食器も少しは壊れていました。 | そのときしていたこと: 仕事で打ち合わせが終わった瞬間でした。 |
そのときしていたこと: 幹部クラスの月例会議中で司会進行中でした。 | そのときしていたこと: 東海道線下りに乗車中、根府川駅で運行中止 |
そのときしていたこと: 現地時間6:46 amのため寝ていました。 震災を知ったのは起きた直後なので2時間後です。 | そのときしていたこと: 10階建てビルの6階オフィスで仕事中でした。揺れがだんだん大きくなる中、立ちあがって机につかまり、天井やキャビネから物が落ちたりしないか見回していました。部屋の仕切り壁がギシギシ音を立て、キャスター付きの椅子が勝手に動いていました。同僚も大勢いた為か、案外不安感は感じませんでした。 |
そのときしていたこと: 研修会で講師をしていました | そのときしていたこと: 入社の面接が終わり、その判定会議中 |
そのときしていたこと: ゴルフ場に居ました。最終ホールの一つ前、ロングホールのティー・グリーンで、今まさに ティーショットを撃たんとアドレスに入ったところで、ボールがティーから転がり落ち、不思議に思いつつ、落ちたボールを拾って再度ティーに載せた途端、不気味な地鳴りが足元から…。大地はうねり、足裏は削岩機のような振動を数分間感じておりました。地割れに飲み込まれる(笑)との恐怖から、4人乗りカートにずっとしがみついていました。地割れは発生しませんでしたが…。 | そのときしていたこと: 仕事中。もうすぐ3時だなぁと思っていたところ。 |
そのときしていたこと: 仕事してました。 | そのときしていたこと: 業務の打合せが終わり、事務所の外に出て東京の本社と電話をしている最中にグラッときました。 七戸十和田まで新幹線を使い、駅からレンタカーで来ていたのですが、帰りは絶望的と考え、八戸までレンタカーで移動しましたがホテルにも泊れず、小雪が舞い散る中、車で1泊しました。(夕食は避難所で戴いたおにぎり一つでした) 翌12日、盛岡まで南下し、ようやくホテルを確保、あいているコンビニに並んで食料ゲット。翌日(13日)の早朝に日本海経由(秋田~山形~新潟~関越自動車道)で東京に戻りました。(18時半着) ガソリンの供給や道路事情を考えてのルート選択でしたが、正解でした。 とにかく、この経験は一生忘れることはないと思います。 |
そのときしていたこと: コーヒーを飲みながら打ち合わせをしていました。 子供の頃にみた、過激派の爆破によって粉々になった窓ガラスのように、ガラスが降ってくるのではないかと怖かったです。(三菱重工爆破事件) | そのときしていたこと: 商談を終え、新橋駅に向かっていました。 |
そのときしていたこと: オフィスで仕事をしていた。揺れ始めは普通の地震かと思ったがいつまでも止まらず、激しくなる上に数分経っても揺れ続けていた。窓のブラインドが窓枠とぶつかってずっとがしゃがしゃ音を立てていた。近隣の人は次々と外に出てきていた。揺れが止んでしばらくすると、遠くの方で煙が上がっているのが見えた。 | そのときしていたこと: 会議 |
そのときしていたこと: 勤務時間内作業中3.11以前に強い地震が何度かあり仙台沖地震が来るのかな等新潟地震、宮城地震、十勝沖地震の話をしていたら...工場の機械は動き土手の法面は崩れそれからしばらく操業休止です。 | そのときしていたこと: フィットネスの風呂場で体を洗っていた |
そのときしていたこと: 仕事をしていました. | そのときしていたこと: 会社で仕事中でした。 地震だと皆に声をかけ集合させました。 シャッターや壁が音を立てて揺れ、東海地震が起きたとのだと思いました。 揺れが収まらないので工場の外へ避難し様子を見ました。 その後、食堂のテレビで各地の様子や津波の被害の様子が映し出され、 多くの人が亡くなっただろうと感じました。 |
そのときしていたこと: 2月22日のクライストチャーチ大地震で被災して勤務先に行くことが不可能になり、余震や不安でストレスをためまくりながらなんとか家で仕事をしていた。ストレスに我慢できなくなり「とりあえず身体を動かさねば!」と携帯電話をつかんで外に飛び出し、我武者羅にウォーキングしているところだった。その携帯電話に地震の一報が入り、その場で日本に電話をしたらまだなんとか電話がつながり、通話中にも震度6のでかい余震が来る有様だった。「余震が落ち着いたら暗くなる前に懐中電灯を探し出し、余裕があれば風呂場の水を貯めて」などパニックする家族に指示を出した。 | そのときしていたこと: 東京港(晴海埠頭)で行われていた太平洋フェリー「いしかり」の見学会の途中、船内のエレベーターの中にいました。急に長い大きな揺れ・・・フェリー船員さんの適切な対応で無事下船しました。 |
そのときしていたこと: 盛岡への出張中地震に遭遇、交通網が寸断されるなか、幸運にも唯一運行された 仙台行きの高速バスに乗れ、10時間以上かけて仙台にたどり着きました。 あの宮城交通バスの運転手さんには本当に感謝しております。 | そのときしていたこと: 国道バイパス拡幅工事で高架橋の検査前計測作業を行っていました。横揺れがかなり長い間続き、揺れている最中に携帯電話に東北地方で震度6の地震発生のメールが届いた。 |
そのときしていたこと: 仕事 | そのときしていたこと: 結束バンドにてエアーホースをまとめ、一段落ついたので休憩に居室に戻った所 非難時、半袖で寒かった! |
そのときしていたこと: 家族と自宅にいた。 | そのときしていたこと: 外回り営業中で車の運転していました。 強い横風だなとハンドルのぶれを修正しながら運転していたのですが、ラジオから小林克也さんが「おおっ!地震だ!これはでかい!!」と言っているの聞いてようやく気付きました。まわりをよく見れば電信柱は左右にぶれてるし、電線は波打つし・・・ 急きょ、車のオーディオをTVに変更したらかなりなことになってました |
そのときしていたこと: 生まれて1カ月の甥っ子(2月生まれ)の為、五月人形を買いに行こうと 父と姉(甥っこの母)と、団地の階段を降りている途中でした。 母は甥っ子と一緒に留守番をしていました。 3階の途中まで降りた頃、大きな揺れを感じ、自分は階段に座って待ちました。 親と姉は1階まで降りて、駐車場で揺れが収まるのを待ってから、 家に戻って、母と甥っ子の無事を確認しました。 (部屋の中はメチャクチャでしたが、甥っ子は母の腕の中で寝てました) 後日、改めて五月人形を買いに行ったら、店のシャッターは落下してゆがみ、 五月人形は「倉庫の中が崩れて、五月人形が全滅してしまって…。 店舗に置いてあった、在庫(現品見本)しか残ってないんです」と言われました。 | そのときしていたこと: 仕事中 |
そのときしていたこと: 会社で仕事。 6階建ビルの1階にいましたが、ヤバいと思った。 最初の揺れから30秒ぐらい経ってようやく屋外へひなん。 | そのときしていたこと: 友人とアフタヌーンティ-ル-ムに。この時は地震に気づかず、めまいがしたと思っていました。 |
そのときしていたこと: 駅前の商業施設で仕事をしていました。地震があった時間、少し揺れたかな?という感覚はあったけど、はっきりとはわかりませんでした。バックヤードで「東北に大きい地震があったらしい。」と聞きました。家に帰る時、地元のJR駅で新聞の号外が配られていて、東日本大震災の概要を知りました。 | そのときしていたこと: 16階建てビルの8階で仕事中。細かな縦揺れの後、ゆったりと横揺れが始まる。ビルがキシキシ音とたてて揺れていた。横揺れの相前後していわゆる長周期地震動が始まり、船酔いに似たような状態に。横揺れよりも長周期地震動の方が揺れ幅が大きく、危機感を感じるまで時間がかかった。 同僚のデスク上の積み上げた書類が雪崩打って落ちたり、天井のパネルが外れかかったり、壁のパネルに亀裂が入ったりした。 一旦揺れが収まった後、窓の外のガラスビルに映る西新宿の高層ビルがコンニャクのように揺れているのが怖かった。 |
そのときしていたこと: 仙台市中央のSS30ビル10Fにいた 神戸の地震を映像でみていたので、ビルが倒壊しもう終りだと思った | そのときしていたこと: 職場3階で遅い昼食中、強い縦揺れが数秒続いた後大きな横揺れが襲ってきました。向かいのビルが歪みながら揺れている、部屋にある自動販売機が倒れそうになる、食堂のテーブルがまるで踊っているかのように部屋中動き回っていた。数分揺れが続き、その揺れの中を自分のデスクまで戻ると、引き出しが全部開き周りのキャビネット等も倒れ手がつけられない状態。外は建物から避難してきた人々で騒然としている中を警察・消防・ガス・電力関係車両がけたたましくサイレンを鳴らしながら走っていた。家族の安否を心配すると同時に周りの光景が非現実的に感じ恐ろしかった。 |
そのときしていたこと: 研究を研究室にて | そのときしていたこと: フロアで販売接客 |
そのときしていたこと: 仕事 | そのときしていたこと: 海外駐在中でした。 一緒に働いていた日本人から、日本で大きな地震があったと聞いてnetで調べようとしたのですが、文字情報ばかりでは被災状況はほとんど把握できませんでした。ただ、震度7と津波の高さ10m以上という数字で甚大な被害が出ていることだけは予想でき、知人の安否がわかるまでは本当にやきもきしました。 |
そのときしていたこと: 会社事務所内で打ち合わせ中 | そのときしていたこと: 歯医者で治療中?! |
そのときしていたこと: 歯科治療終了直後 | そのときしていたこと: じぶんが死ぬことについて考えていました。 |
そのときしていたこと: 営業車内でお客様が来られるのを待っていた。 |